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Small Circle of Friends  『Silence』 Release Interview

アズマとサツキによるヒップホップユニット、Small Circle of Friends(以下、SCOF)が今年6月に11枚目となるフルアルバム『Silence』をリリースした。ヒップホップ特有のラップや韻を踏んだ歌詞はもちろん顕在だが、彼らは歌メロをとても大切にしており、ソフトロックやネオアコなどの洋楽サウンドが好きなリスナーであれば気持ちよく受け入れられるだろう。

 

前作『Superstar』を発表してから3年半ぶりとなった今作は「生音のリズム」に拘って制作したという。サンプリングや打ち込み主体の彼らにとってもそれは新しいチャレンジであり、途中、方向性が見えるまでかなり苦戦したそうだ。結果、そよ風が通りすぎていくような心地よさを感じる「Silence」やミニマムなリズムと間合いが絶妙な「サマーソング」、何度でも口ずさみたくなるメロディとシンプルなギターフレーズが特徴の「新しい人」など洗練された珠玉の楽曲が多数生まれた。

 

決して派手さはないが、ヒタヒタと心に揺さぶりをかけてくるSCOF23年目の新作は、シンガーソングライター然としたポップミュージックとはまた違った音楽の魅力を我々に気付かせてくれる。自宅のレコード棚の一枚に愛聴盤として加えたい、そんな作品だ。

 

 

 インタヴュー・文 黒須 誠

撮影 ossie

企画・構成 編集部

取材協力 渋谷Bar Music

Small Circle of Friends 作品

Small Circle Of Friends

Small Circle of Friends

Silence

2016年6月15日リリース

Amazon商品ページ

 

作品情報

 

『Silence』

発売日:2016年6月15日
形態:[CD]

レーベル:75 Records

品番:SCOF-001

価格:2,500円(税込)

 

収録曲 
01. Silence
02. 波長 / oscilloscope
03. ワタシのはなし
04. サマーソング
05. Drifter
06. とけい
07. 緑の光線
08. 満ち欠け
09. ぬるい水

10. 新しい人

Superstar

Small Circle of Friends

Superstar

2012年10月10日リリース

Amazon商品ページ


Small Circle of Friends 映像

LIVE INFORMATION

Small Circle of Friends LIVE TOUR 2016

 

2016年09月11日 東京・渋谷 Under Deer Lounge ※バンド編成

 

2016年09月16日 福島・会津 太郎焼総本舗

 

2016年09月17日 福島・いわき KURA BAR

 

2016年09月18日 宮城・岩沼 Shotbar Tip Top

 

2016年09月19日 栃木・宇都宮 Snokey Records

 

2016年09月22日 東京・神田  手と花 (te to ka)

 

2016年09月25日 福岡・福岡 Rooms ※バンド編成

 

2016年10月23日 和歌山・海南 Arcade ※バンド編成

 

2016年10月24日 京都・京都 Metro ※バンド編成

 

 

全部後追いなんですよ。そのときはまさか11枚もアルバム出すことになるなんて思ってなかったんです(サツキ)

──まず初めにお二人の出会ったきっかけから教えてください。

 

アズマ 「僕は福岡出身」

 

サツキ 「私は佐賀出身で福岡のインポート洋服屋さんでバイヤーをやっていました。そのときに知り合ったんです」

 

アズマ 「当時はクラブなどのお店も少なかったから、音楽好きが集まるところって限られていましたね」

 

サツキ 「アズマさんがイベントの告知フライヤーを置きに私の店に来ていたんですよ」

 

アズマ 「しばらくして、一緒にDJイベントをやるようになったんです」

 

サツキ 「DJゲストにスカパラが九州に来た時など、青木さんや谷中さんにまわしてもらったりもしていましたね」

 

アズマ 「周りではバンドをやっている人たちに、インスタントシトロンやナンバーガールがいて一緒にイベント何度かしています。そして僕らは95年にCDをリリース、デビューしました」

 

──当時からヒップホップを?

 

アズマ 「そうですね、音楽のスタイルは当時から変わっていません」

 

──DJも当時からですか?

 

サツキ 「うん、頻繁にイベントしたり呼ばれたりその時期からですね」

 

アズマ 「歌ったり演奏するようになったのはそのあとなんですよ」

 

サツキ 「聴くのが本当に好きだったんだけど、それからDJをやるようになって、そのあと歌うようになるんです」

 

──曲を作るようになったのは?

 

アズマ 「ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション(以下 U.F.O.)というクラブシーンで活躍しているユニットがあって。東京にいる存在だったんだけど、シーンが福岡にいる僕らと近いなと感じていました。サンプリングや生音で作っていた彼らの音がとてもかっこよかったんですよね。ああ、こうゆうのやりたいなと思ったのがきっかけです。“やってみたい”が“やってみよう”になって“やってみたらなにか足りない”となって…それで歌も入れてみようと今の形になっていったんです。できあがった曲をU.F.O.に聴いてもらったんですね。そうしたらコンピに入れるからという話になって」

 

サツキ 「『Multidirection BROWNSWOOD WORKSHOP』というコンピレーションアルバムに入れてもらったんです」

 

アズマ 「93年のときです。入れてもらうにあたってグループ名どうしようかという話になって、好きなレコードがあるからこれにしようって」

 

サツキ 「単純にロジャニコ(ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ)が好きだっただけなんですよね。全部後追いなんですよ。そのときはまさか11枚もアルバム出すことになるなんて思ってなかったんです」

 

アズマ 「最初はそう大事でなく遊び感覚だったんでしょうね」

 

──ロジャニコを挙げるならばソフトロックに走りそうなものですけど、お二人はヒップホップを選ばれていますよね。

 

アズマ 「当時からソフトロックは大好きですよ。今でもそれは変わらないですね」

 

サツキ 「ジャズも好きだったしね。今言われてみて余計によくわかるんだけど、バンドに行かなかったのは聴くのが大好きだったから。音楽を自分たちのアルバムソースとして使いたかったというのがあるんですね。方法論としてヒップホップがきっとよかったんでしょうね」

 

──ロジャニコのどこが好きなんですか?

 

アズマ 「二人ともロジャニコに詳しいというわけではないですが、好きでよく聴いていました。もちろんいまもですが」

 

サツキ 「昔一緒にイベントしていたヒックスヴィルの三人がロジャニコ来日時の対談で”日本にもあなたのファンで同じ名前のバンドがいますよ”って話したそうです。良い感じに受け取ってくれたそうなので、いまでもそれが一応本人了承ってことにしています(笑)」

 

──すごいですね、そんな話があるんですか。

 

アズマ 「ロジャニコでいうと特に1枚目が気に入っているんですよ。音楽は素晴らしくて、それでやっている人たちの顔の見えない感じがね。それを聴いていると自分たちの中に取り込めるような感じがするんです。メンバー本人たちを感じにくいが故に」

 

サツキ 「当時のレコードやCDってアートワークと音楽に関連性がないものも多くて、音楽やジャケットから色んなことを想像する楽しさがたくさんありましたね。素晴らしいです」

 

──当時の音楽シーンについて何かあれば。

 

サツキ 「私たちのデビュー1年前がスチャダラパーやTOKYO No.1 SOUL SET(トーキョーナンバーワンソウルセット)が出てきたころですよね」

 

アズマ 「東京の音楽シーンについては当時そこにいなかったのでよくわからない、というのが素直なところですが。それこそ当時東京の下北沢SLITS(スリッツ)※で行われていたことも風の便りで聞いていたくらいで。僕らのやっているような音楽を福岡でやっている人たちもいなかったんだけど、インスタントシトロン(instant cytron)やカプセルジャイアンツ(CAPSULE GIANTS)のメンバーと仲良くしていました。ほかにはモッズのバンドとかも。ジャンルは違っていても違和感なかったから、一緒にライヴをやっていましたね」

 

※1987年3月に“下北沢ナイトクラブ”としてオープン、翌88年4月に“ZOO”に改称後92年にSLITSに再度改称、95年の大晦日に閉店した伝説的クラブ。スチャダラパー、TOKYO No.1 SOUL SETはもちろんラヴ・タンバリンズ、小沢健二、小山田圭吾、カヒミカリイ、など後に渋谷系ムーヴメントの中心となったアーティストを数多く生み出した。

 

 

──どのようなスタイルでライヴを?

 

アズマ 「2つありましたね。今と変わらないんですけどギター、ベース、ドラム、キーボードでバンドとしてやるパフォーマンスと、DJと三人のセットでするスタイルです」

 

サツキ 「バンドとしては、マルチダイレクションのリリースイベントのとき、U.F.O.の松浦さんからバンドパフォーマンスで出演してほしいと依頼があり、急遽バンドスタイルで友人と出ることになって、一曲しかなかった音と、何曲かその日のために作った曲でスタートしたのが最初です」

 

──楽器は小さいころから?

 

アズマ 「ほとんどできなかったですね(笑)。何しろレコードありきでしたから」

 

──福岡から東京のシーンへ移られたのは何故ですか?

 

アズマ 「福岡の中にしか見れない聴けないことにきっと飽きてきたんじゃないかと思います。福岡のシーンに」

 

サツキ 「あの頃は福岡にいて入る情報は、雑誌で知るくらいで」

 

アズマ 「今はネットもあるから少し違うんでしょうね」

 

サツキ 「東京でのライヴというとSLITSのオーガナイザーである山下さんからSLITSのイベントに呼ばれていたのと」

 

アズマ 「西麻布の Space Lab YELLOW(スペース・ラボ・イエロー)※のどちらかでしたね」

 

 

※1991年12月に渋谷のクラブCAVEらを運営していたメンバーによってプロデュースされたクラブ。「楽しいことを色々やりたい」というコンセプトから空間実験室という意味で“Space Lab YELLOW”と命名、2,000人規模のイベントを複数回開催するなど東京のクラブシーンの代表格とも言えるお店だった。ビルの解体工事のため惜しまれつつも08年6月に閉店。

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