津田マガ100号を読んで少し考えさせられたこと。

津田さんのメルマガ100号記念の糸井さんとの対談を読んでいたら下記のようなことが書いてあった。

 

 

“津田:あるイベントで一緒になって、そのあと半蔵門線に乗って次の予定がある渋谷まで移動したときの雑談なんです。僕はネットユーザーの声を政治に反映できるようにしたほうがいいと思って団体をつくったりしてるんですけど、ひろゆきくんはその活動を知ってて「津田さんはなんでそんなことやってるんですか? 金にもならないのに」って素朴に聞かれて、答えに窮しちゃったんですよね。別に「俺は金持ってるから」みたいないやらしい聞き方じゃなくて、本当にピュアに聞かれて戸惑った。”

 

“糸井:僕もそれ、ひろゆきさんと同じこと思いますよ。それを突き詰めて考えることがとっても重要だと思う。「金にもなんない」っていうのは、言い方を変えれば「金出すほど熱心に付き合ってくれる人がいない」ってことでもあるわけで。

 

津田:確かにそうですね。繰り返しになっちゃうんですけど、僕がなにかをやるモチベーションって社会正義とか義憤というより、「誰かがこれをやる必要があることだと思うんだけど、誰もやってないからとりあえずやってみるか。やってるうちに、他人が『ああ、そういうのも必要だな』って気づいて、実際にやり始める人が増えたら俺は手を引こう。ほかにいろいろ面白いことあるし」みたいな部分が大きいんですよ。”

 

抜粋: : 大介、津田. “津田大介の「メディアの現場」 2013.11.22(vol.101).” 有限会社ネオローグ, 2013-11-22T00:00:00Z. iBooks. 

 

 

 

僕も金にもならないのにボランティアでよくやるね?言われることが多いのでなんとなく気持ちはわかるつもり。まあ続いているってことは多少なりとも役にたてているのだろうとか、ポジションができつつあるからだとは思うけど、ほんとのところはよくわからない。

 

 

ボランティアで手伝ってくれる人もいるし、イベントに来てくれるお客さん、出演してくれるミュージシャンもいるから活動そのものは一定程度のニーズがあるとは思うので最低限のところはクリアできているとは思う。ただ僕の立場からみたら金にはならないというか諸事情でできないので、金銭的なものは全くモチベーションにはならないしできない。

 

 

じゃあ続けられているモチベーションは何かというとやっぱり好きな人達にお役立ちできることが素直に嬉しいし、会いたかった人に会える喜びとか、思いもかけない出来事に出会える面白みというのが大きいなあと思う。普段会社で仕事をしていると会社の枠の中でしか活動できないけど個人だったら制約ないからね。友達も増えたし。

 

 

ネットで色々活動していくと少しずつ目には見えない価値があがっていくみたいで、できることも増えてくる。それが面白かったりする。金銭ではない価値がそこにはあるみたい。

 

僕の場合は好きなことをやっているので、面白くなればなるほどますますのめり込んでいくと思う。好きなことをやっているから辛くてもやれている。だから手を引くことは多分しないし形を変えて続けていくんだろうな。

 

 

ただ今のやり方ではできることに限界も感じてきているので少しペースを落としながら体制は変えていきたいけどね。

 

 

津田さんのメルマガ100号って凄いよね。0号から読んでいるのでなんだか感慨深い。

 

今回の記念号ではメルマガ会員がどのように増えていったのかとか、紆余曲折なども書かれていてとても参考になった。ここまで長く続けられた理由やものの考え方をいつかお会いして聞いてみたいなと思うポプシクリップ。です。

 

 

ただそのためには自分が提供できるものができてからでないとダメだろうけどねえ。。。