前向きに働くのがいいなと思う。

 

社畜とかノマドとかブラックとか、色々な言葉があるけれども、これらの状態を表す言葉は、誰にとってもそうなる可能性があるけれど、誰もがそうはならない可能性もあるということであってそれはたった一つのことに気づけるかどうかではないか?と最近思う。

 

 

結論から言えば仕事に対して能動的であるかどうか、受身な姿勢であるか、ここが大きな分かれ目ではないだろうか?好き嫌いもあるだろうが姿勢の問題のほうが大きいのでは?

 

 

ネット、特にツイッターをやるようになってからその手の話をたくさん見るようになった。たまにだがボランティアで就職活動のサポートをやっていることもあって働き方は大変興味のあるテーマである。

 

 

ところが、実生活において僕は周囲から、自分は社畜扱いだとか、ブラックとか、ノマドになりたいといった話をほとんど聞いたことがない。ゼロではないけれどもほぼ皆無。キツいなどの3Kはあってもね。僕の周りは会社員や公務員が多めだがフリーランスや自分のお店を持っている人もいる。でもどこからも。唯一新聞でブラックについて取り上げられた時に食卓の話題にはあがるくらい。僕の周りの世間とネットの乖離現象?

 

 

周りの友達に聞くと、仕事で辛いことや上司の愚痴とかまあ色々あっても社畜という言葉や、ノマドみたいに働きたいと話す人は皆無なのだ。そもそも言葉の意味を知らないといったところ。

 

 

とはいえ仕事で鬱になって休みをとっている人もいたりするわけで同じ会社の同じ職場環境でも平気な人とそうでない人がいるってこと。

 

 

地元の友達、学生時代の友達、社会人になってからの友達、僕の周りがたまたまそうなのかもしれないけど、そういう言葉が一向に出てこないんだよね。ある意味幸せなことなのかもしれない。

 

 

仲のよい友達に聞いてみたら、会社に対して不満に思うことはあっても社畜なんてそもそも考えたことがないし、自分は人間だし、論外な言葉だと言われた。自分を卑下したような言葉を使っていて寂しくない?とも。

 

ノマドについては興味はあるけどリスクの方が高いからそこまでするのは向いてないという意見が多かった。弁護士などの専門職なら向いていそうとも。

 

 

個人的に思うのは自由意志がきかない環境下、言われたことしか、もしくは受身な仕事しかできない状況、言い換えると裁量権の少ない立場にいると、自分の思い通りにならないことに嫌気がさしてくるし後ろ向きになりやすい。

 

 

反対に能動的に仕事をしている人はみんな生き生きとしている。当事者意識が高いから会社に飼われているなんて微塵も思っていないし、逆に会社を支えているんだ、という気持ちで取り組んでいる。大抵は裁量権が若手にも与えられていて上司がサポートをしてくれる、マネジメントがしっかりしているところに多いようだ。

 

 

入社したときから当事者意識を持てと、評論家はいらん、と言われ続けてきたんだけど、それは仕事に対して能動的になることがモチベーションとか成果はもとより、生き生きと働く意味において大切だからなんだと、最近の社畜やらノマドといった言葉の登場の中で改めて感じた。

 

 

どうせ働くなら前向きになって仕事を楽しんだ方が得な気がすると思うポプシクリップ。です。

 

 

とはいえこの無駄な通勤時間だけはなんとかしてほしいし、もっと早く帰りたいとか色々あるけど、リストラにあった人もいるなか、仕事があるだけありがたいしね。

 

 

ここ数日イベント準備が進められていないので早くそちらもなんとかしたいなあとかとか。

 

またね。

 

 

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