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Pop Brothers from Glasgow Interview
L→ ダグラス・T・スチュワート(BMXバンディッツ)、ノーマン・ブレイク(ティーンエイジ・ファンクラブ)、ユージン・ケリー(ヴァセリンズ)

’97年から音楽を意識的に聴き始めた私にとって、後のグラスゴー・インディー・ポップ・シーンと呼ばれる彼らの音楽を知ることになったのは、同年に日本のネオアコ、ギターポップ・シーンのルーツを辿るべく音楽の旅に出たことがきっかけであったと記憶している。当時ソロ活動をはじめたカジヒデキや、advantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)、Swinging Popsicle(スウィンギング・ポプシクル)、risette(リゼット)、PLECTRUM(プレクトラム)ら日本のネオアコ、ポップスシーンを形成したバンドが次々とデビューしていく中でそこから繋がるいくつかの道の一つがグラスゴーであった。

 

そのためグラスゴー出身のミュージシャンで’65年に『キャッチ・ザ・ウィンド』をリリースしたドノヴァンや、同じく’69年にメロディ・メーカー誌の”フォーク・アルバム・オブ・ザ・イヤー"にも選ばれた『ラヴ・クロニクルズ』を発表したアル・スチューアートなど第一期のグラスゴー出身アーティストはもとより、80年代のパンク、ニュー・ウェイヴの時代、ワールド・ワイドに有名となった第二期を支えるポップ・ブラザーズについてもリアルタイムで知ることはできなかったのだけれど、友達と一緒に自分の好きなバンドのルーツを追いかけながらレコードショップを巡る日々を過ごす中で、スウェディッシュ・ポップの代表格とも言われるカーディガンズのほか、ロディ・フレイムによるアズテック・カメラやエドウィン・コリンズによるオレンジ・ジュースと並んで必聴版だと言われて聴いたのがパステルズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、BMXバンディッツ、ヴァセリンズらといったグラスゴー出身のミュージシャンによる作品だったのである。

 

一番わかりやすい例を挙げるとしたらPLECTRUMだろう。ギターのピックを意味するこのバンド名はティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクに名づけてもらったというのは有名な話であり、今回のジャパン・ツアーで名付け親のノーマンと共演を果たした彼らはMCでもその喜びを熱く語っていた。

 

あれから時計の針が数え切れないほど回転した’13年10月。

グラスゴー・シーンにおいて今や欠かせない存在となったダグラス、ノーマン、ユージンの3人が来日し「Pop Brothers from Glasgow World Premiere Tour in Japan」というジャパン・ツアーを行った。親しい間柄の3人だが、なんと3人が一緒にライヴをやるのは彼らの20年以上もの音楽キャリアの中ではじめてのことだ。

 

今回縁があり、ツアー中のメンバーにショート・インタヴューを行うことができたのでここにお届けしたいと思う。時間も限られていたため、 ここ最近私の中のテーマであった音楽を続けることに関するメンバーの想いや3年前の東日本大震災のときにダグラスが企画してくれたあのコンピレーション・アルバムについての当時の考えなどについて語っていただいた。本インタヴューをきっかけに彼らについての理解が深まり、彼らと彼らの作品を好きになっていただけたら嬉しく思う。

 

 

取材・文 黒須 誠/撮影 山崎ゆり/通訳 野田 薫/翻訳 編集部

協力 スウィート・ドリームス・プレス/はしもとさゆり/下北沢mona records

 

 2014/04/19追記 ライヴ映像が公開されたので、フォトページに追加しました。

20年前のファンが未だに僕たちに会いに来てくれるんだ(ダグラス)

──ジャパン・ツアー初日のライヴはいかがでしたか?

 

ノーマン・ブレイク(Vo・G) 「とても楽しかったよ! 僕たちはいいライヴと素晴らしいお客さんに出会えて、本当に最高だ」

 

ユージン・ケリー(Vo・G) 「まさにその通りだよ。日本のお客さんは本当にフレンドリーだよね」

 

ノーマン 「いつも日本のお客さんには助けられているよね」

 

ダグラス・T・スチュワート(Vo・G) 「僕はBMXバンディッツで20年以上も前に初めて日本に来たけれど、その時いたファンが未だに僕たちに会いに来てくれるんだ。長い間僕たちのショーを観に来てくれる人達もいるし、もちろん新しいファンもいるからとても嬉しいよ」

──今回、いつもの対バン形式ではなく皆さんが一緒に演奏されていますが、ツアーはどのようにして決まったのでしょうか?

 

ノーマン 「僕は前回ジャド・フェア※1 と一緒に日本でツアーをしたんだだけど、その時のプロモーターがスウィート・ドリームス・プレスのノリオ※2 で、彼が今回ダグラスのをやってくれたんだ」

 

ダグラス 「そうなんだ。彼が今回のツアーを交渉してくれて、、、このツアーができたのは彼のおかげさ!そして僕はユージンとノーマンに一緒に日本に来ないか訊いてみた。僕たちはずっと一緒にやってきているからね。ノーマンとユージンも在籍した時期は違うんだけど、二人ともBMXバンディッツのメンバーだったんだ」

 

※1 2013年5月に開催された「Jad Fair, Norman Blake and Tenniscoats Japan Tour 2013」のこと

※2 主催の福田教雄さん。今回のジャパン・ツアーはツアーのサポートメンバーでもあるはしもとさゆりさんから福田さんにオファーがあり実現された

ダグラス・T・スチュワート
ダグラス・T・スチュワート

もしスティーヴンのサポートがなかったら僕達はここにはいなかった(ユージン)

──三人が出会ったのはいつ頃なのですか?

 

ダグラス 「僕はノーマンに会ったときのことを覚えているよ。確か彼が3歳か4歳の頃で僕が4歳か5歳の頃でだったと思う。当時のノーマンについてのいくつかの思い出はあるけれども、僕達はティーンエイジャーになるまではそれほど親しい友達ではなかったんだ。同じ高校に通うようになって、それからノーマンと僕は(ある種の)共通の音楽を一緒に楽しむようになったんだよ。他のほとんど多くの生徒とは音楽の趣味が違ったからね。だから僕達はつながりを持つようになったんだ。ええとユージンとは確か...僕達が彼に会いにいったんだよ。ユージンとの出会いはグラスゴーで、ノーマンと僕はフランシス・マッキーと友達だったんだ。そしてユージンも彼女と友達でね、彼もみんなとは違った音楽が好きだったんだ。映画のような雰囲気の音楽がね」

──初めて会ったときのことを互いに覚えていますか?

 

ノーマン 「僕達は一緒に音楽を作り始めたんだ。僕は小さなテープ・レコーダーを持っていてアルバムを作るために曲を作っていた。あらゆるアルバムをリリースする前に、僕たちは既におよそ10枚分のアルバムを趣味で作っていたんだよ、自宅でね。ちょうどその頃僕らはもっと上手に楽器を演奏したくて取り組んでいったら、さらにいい音楽を作ることができるようになった。その後スティーヴン・パステルに出会えたことでレコードをリリースする機会に恵まれたんだ。彼は53rd&3rd というレーベルを主催していたからね」

 

ダグラス 「BMXバンディッツ、ヴァセリンズ、ボーイ・ヘアドレッサーズ※3 は全て彼のレーベルにいたんだよ」

 

ユージン 「もしスティーヴンのサポートがなかったら僕達はここにはいなかったと思う」

 

ダグラス 「初めてユージンと出会った時のこと、彼と話をする以前に、ヴァセリンズにいた彼と彼の兄弟のチャーリーに会った時のことを思い出したよ。ヴァセリンズは僕の故郷のベルシルにいる友達とは明らかに違って見えたんだ。彼らはとてもクールだったし、独特なスタイルだったからね」

 

ユージン 「僕は“Duglas”って面白い名前だなと思った。なぜなら僕の友達は“John” や“Paul”といった名前だったからね。“Duglas”という名前に興味をひかれたんだよ」

 

※3 ティーンエイジ・ファンクラブの前身バンドとしてノーマン・ブレイク、レイモンド・マッギンリー、フランシス・マクドナルド、ジム・ランビーらが組んでいたバンド

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