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当時チャットルームが流行っていてそこで同じ音楽の趣味の人に出会えたんです

──当時発見して興奮した音楽を覚えていますか?


ヒグマ 「高校のときに知った『サニーデイ・サービス』や『スパイラル・ライフ』とかかな。ちょうどインディーズを聴き始めたときに出会った音楽ですね」


──そのころ世の中ではMr.Childrenやスピッツ、ZARD、小室哲哉さんらが一世を風靡していました。


ヒグマ 「メジャーの音楽も普通に聴いていましたよ。WANDSとかね。学校が主なコミュニティだったからHEY!HEY!HEY!やMUSIC STATIONなども見ながら。でも自分の好きな感じはこっちかな、という感じでインディーにハマっていったのが高校生くらいです」


──初めて見たライヴは何だったんですか?


ヒグマ 「初ライヴはMr.Childrenでしたね。東京まで観に行ったんです」


──大学になって上京されてきたんですよね?


ヒグマ 「東京といっても多摩のほうだったんですけどね。でもライヴに行けるようになったし、CDも欲しいと思ったら買える環境があるのは嬉しかったですね。タワレコとかで試聴しながら、中古屋さんを巡ってCDを掘っていましたね。ディスク・ユニオンやレコファン、あと中野にあるレコミンツもよく遊びに行っていました。中野のレコミンツはプロモーション盤がよく落ちていたので、貴重だったんですよね」


──ライヴやクラブには?


ヒグマ 「大学の周りには自分と同じ音楽の趣味の人がいなかったんですよ。ただ大学のカフェテリアでインターネットを自由に使うことができたんです。ネットには自分と同じ趣味の人がたくさんいたんですよ。当時チャットルームが流行っていて、よく会話をしていました。そこで知り合った人たちと情報交換したり、ライヴに誘ってもらったりしながら音楽の幅が広がっていったんですよね。当時はスーパーカーにハマっていたのでスーパーカーのチャットルームとスパイラル・ライフのチャットルームによく出入りをしていました(笑)」


──チャットルームが交流の場だったんですね。インターネットで音楽の友達ができたのはわかりましたが、そこからレーベル活動に行うに至るまでどのような経緯があったのでしょうか?」


ヒグマ 「そのころTOKIさんという方と出会ったんです。そこで自分の知っているインディーの音楽がまだ浅いレベルであったことに気付いたんですよ(笑)。クルーエルもアンダーフラワーもLD&Kもインディーの中ではまだメジャー寄り、有名どころのレーベルで、世の中にはもっとたくさんの音楽があることを教えてもらったんです。そこで『レフトバンク』や『ギャラクシートレイン』という、今僕がやっているレーベルの形に近いかたちのレーベルやアーティストを教えてもらったんです」


──そこまで細分化されてしまうと普通の人はまず出会わないですよね?


ヒグマ 「当時『米国音楽』という雑誌があって、自分たちの手でレーベルやファンジンを作っている人たちの存在を知ったんですよ。彼らのイベントに遊びに行くようになってからですね。それまでレーベルは大手の資本がやるものだと思っていたんだけど、個人でもできるんだなって。そのころのイベントだと名古屋の『ギャラクシートレイン』や大阪の『レフトバンク』に遊びに行ったりもしました。他にもコーニッシュ・カモミールなどをリリースしていた『チャンネル・レコード』のイベントとか」


──ファンジンは一時期流行りましたよね。


ヒグマ 「当時のファンジンを今も持っているんですけど、インターネットもない時代に想いを伝えるには何かのかたちにするしかなかったんですよね」


──当時のファンジンはとても濃かったんですよね。その熱量は現在とは比べ物にならないくらい本当に半端なかったというか。ファンジンでも個人で作っているものから会社が作っているものまで様々あったし。


ヒグマ 「当時はちょうどルーシーがメジャーに行く話があった時期なんですよ。インディーズで人気のあるバンドがどんどんメジャーに行って、音楽をやっている人たちから見たら頑張ればメジャー・デビューできるかも、という土壌があって、ファンジンもそこに少なからず貢献していたと思うんですよ」


──確かに今見せてもらっているファンジンを見ると、アドバンテージ・ルーシー(advantage Lucy)やラウンド・テーブル(ROUND TABLE)、シンバルズ(Cymbals)、ハックルベリーフィン、リゼット(risette)、ハルコ(HARCO)、空気公団などその後メジャー・デビューしているバンドがたくさん載っていますね。今年結成20周年で武道館ワンマンが決まっているクラムボンの原田さんが表紙のファンジンもあってすごく濃い時代だったんですね・・・しかもあのパステルズにまでインタヴューしている人がいる・・・大変な熱量ですよ(笑)。


ヒグマ 「こういうファンジン作っている人たちと出会って読んでいくとどっぷりハマっていくんですよね(笑)。大学後半に彼らのイベントによく出入りするようになったんです」

家と会社の往復だけの生活を変えたいと思ってレーベルをはじめた

──でも普通のリスナーはこういうファンジンを作ろうと考えないですよね? そういう発想をそもそもしないというか。

 

ヒグマ 「自分の好きな音楽を広めたいという熱量があったんでしょうね。ファンジン作る人たちは自分の好きなアーティストに依頼をして、こういう雑誌を作るので音源入れさせてもらえませんか? と個別に交渉していたんですよね。好きな曲を集めたマイベストカセットってみんな自分で作っていたと思うんですけど、彼らはそれを外の人に聴かせるために作っていたんです。米国音楽でもCDがついていましたけど、同じ感覚ですよ」

 

──今でいうキュレーションの走りですよね。ところでこれらのファンジンの流通ってどうなっていたのでしょうか?  僕も『米国音楽』は知っていましたけど、今日見せていただいたファンジンはほとんど知らないものばかりでした。個人の作った手作り冊子は普通の書店やCDショップにはなかなか並ばないと思うんのですが?

 

ヒグマ 「米国音楽は一般商業誌扱いだったと思うのでタワレコでも置いていましたけど、それ以外はいわゆる委託販売が多かったと思います。全国各地に個人経営で委託販売をしてくれるレコード屋さんがあってみんなそこに置かせてもらっていたみたいですね。有名どころだと名古屋のarch recordや大阪のSYFT、渋谷のmaximum joyとかかな?」

 

──ポプシクリップ。もやっていることは似たようなものなのかもしれません。WEBやイベント中心へとカタチは変わっているのでしょうが。

 

ヒグマ 「何故やっているんですか(笑)?」

 

──僕ですか? 今日見せていただいたファンジンをやっている方々と同じだと思いますよ。いい音楽を一人でも多くの方に知ってもらったり好きになってもらえたらと思ってやっていますね。話は戻りますが、ファンジンを作っている方々と出会ってヒグマさんはレーベルをはじめることになったんですか?

 

ヒグマ 「そうでもなくてですね(笑)。その後就職して茨城の土浦に配属されたんです。この土浦がちょっと微妙で東京に出られなくもないけど少し遠かったり、実家からも少し離れていて友達も誰もいない状況になっちゃったんです。それこそ会社と家の往復だけという。そんな生活を変えたくて”何かやりたい“と思ったんです。そのときに学生時代に触れてきた音楽のことを思い出して、カセットだったら自分でもレーベルが出来るんじゃないかと気軽に考えたのがきっかけなんですよ。当時はカセットの文化もギリギリ残っていたので。そこで友達だったり知っているバンドさんにお願いをして音源を提供してもらって出来たのが『blue shirts afternoon』というカセットコンピでした。リリースは2000年の8月ですね。6曲入りで一本250円で売っていました。自宅で一本一本カセットテープにダビングしていたんです(笑)。それをJET SETなどに置かせてもらっていました」

 

──やってみていかがでした?

 

ヒグマ 「好意的な意見が多かったんですよ。なので、音楽の事なんて全然わからない素人なのにカセットで4本リリースすることができました。ただカセットは聴く人を限ってしまうのでやっぱりCDを出したいなと思ったんです。CDにすることでもっと多くの人に自分の好きな音楽が届けられると思ったんですよ」

 

──何故ギターポップジャンルにされたんですか?

 

ヒグマ 「単に自分が好きだったからですね」

 

──なるほど、そりゃそうですよね(笑)。それでその後は?

 

ヒグマ 「千葉に引っ越して働きながらレーベルを続けていましたね」

 

──レーベル運営のやり方やノウハウはどうやって学んだのでしょうか?

 

ヒグマ 「特に誰かに教わったというのはなくて見よう見まねで自分でやっていました。ただ周りにやっている人たちがたくさんいたので、ライヴで会ったときに都度わからないことを聞いたりしていましたね。カセットはそんなにやることがなかったんですけど、CDになったときは結構大変でした。データ入稿のやり方とかマスタリングのやり方とか、専門的なことが全くわからなかったのでかなり調べましたね。マスタリングについてはエンジニアの友達に頼みました」

 

──なるほど、あと一番に気になるのが原盤権などの権利関係やギャラなんですけど(笑)

 

ヒグマ 「メジャーレーベルであれば原盤権の買い取りを行うのが普通ですけれど、僕の場合コンピについては原盤権の買い取りはしませんでした。コンピレーションは基本的にたくさんのアーティストに参加してもらうので、レーベル所属のアーティストじゃないとよっぽど大手じゃない限り買取とかはないんじゃないのかな? ギャラに関しては基本的に現物支給で、出来たCDをある程度の枚数お渡しして、それをライブなどで販売してお金にしてもらっていました。とはいっても僕がレーベルをやる少し前は、バンド側がお金を出してコンピに入れさせてもらったりといったケースがたくさんあったんですよ。プロモーションになるからというのが理由らしいのですが、色々ですね」


          

 

 

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