text by Makoto Kurosu 黒須 誠
2013年10月18日からの3日間は僕にとって、とても貴重な時間になった。
僕はグラスゴーに行ったことがない。どのような街なのか、皆目見当がつかない。グラスゴーと言えば、年中曇っていたり雨が降っていることが多いという話を聞くけれど、実際にどんな空気なのかはわからない。知っていることと言えば、’80年代以降ニューウェイヴの時代に次々とワールドワイドのポップ・ミュージックが生まれ、今ではもう誰もが知る音楽都市の一つに数えられているということくらいか。
一方の下北沢、こちらは頻繁に足を運んでいる。頻繁といっても月に3、4回、多くても10回程度ではあるけれど、ライヴを観に足を運ぶことが多い。でも音楽以外の用事で来たことは皆無。
今回僕はインタヴュー場所として下北沢モナレコード(以下、モナレコ)を選んだ。この日は近くの富士見ヶ丘教会でポップ・ブラザーズのライヴがあり、リハと本番の間に少しだけお時間をいただけたので会場の近くで場所を確保する必要があったのだ。
日本の音楽現場を感じられるところにしたいと思ったので会議室ではなく、最初はスタジオかライヴハウスで調整をしていた。ただ考えていくうちにいつもお世話になっているモナレコを彼らに紹介したいと思うようになった。何故ならばご存知の方も多いように、モナレコは日本のインディー・ギター・ポップの聖地であり、今なおアップデートし続けている重要なお店であるからだ。
インタヴュー序文で僕がもともと彼らを知ったきっかけが下北沢や渋谷を中心に活動をしているバンドと書いたが、彼らは皆、モナレコでライヴを行っている。だからその場所にポップ・ブラザーズを連れていくことで何かを感じ取ってもらえることができるのではないか? と思いモナレコ店長のユキさんにご相談させていただいた。案の定、ブラザーズはモナレコを大いに気に入ってくれた。特にノーマンは日本でこんなに素敵なカフェを見たことがないと何度も連発していたのだ。ケーキが美味しかったことも理由の一つのようだが(笑)、それ以上に彼らがモナレコを絶賛していたのには一つの理由があった。
下北沢モナレコードは音楽食堂と銘打っており、2階がカフェになっているがCDやミュージシャン・グッズの販売店舗としても機能している。モナレコ独自のレーベルもあるし流通機能も持っていて日本のインディー・ポップミュージシャンの作品を多数取り扱っている。また3階はライヴハウスになっており、日々様々な音楽で溢れかえっている。高野寛さんのような大御所ミュージシャンをはじめ、空気公団やHARCOさんといったベテラン勢、それに新人の駆け出しミュージシャンまで、世代を超えたアーティストが出会うきっかけや場にもなっている。
モナレコを観たときにポップ・ブラザーズの3人はとても嬉しそうだったので、3人にモナレコの何が良かったのか尋ねると、ノーマンが、グラスゴーにある「MONO」にそっくりなんだ、と教えてくれた。「MONO」は、グラスゴー音楽のガイド本として有名な「ガイド・トゥ・グラスゴー・ミュージック」によると、サイモン・ワード(エラーズ)やライアン・キング(マイ・レイテスト・ノヴェル)、サム・スミス(マザー・アンド・ジ・アディクツ)らがグラスゴーのオススメスポットとして挙げていたレコード・ショップである。
>>>MONO
「MONO」にはライヴ・スペースもあれば、ビーガン・レストランも併設されていてパブでお酒も楽しめる上、CDやミュージシャン・グッズなども買うことができるので、音楽ファンやミュージシャンにとってとても心地よい空間だと言われている。余談だが先のインタヴューでブラザーズが名前を挙げていたスティーヴン・パステルがモノレール好きだったことから名づけられた「モノレール・レコード」、そしてその一部をとって「MONO」という店の名前になったというのは有名な話だ。
モナレコが「MONO」を意識していたのかどうかは私にはわからないが、「MONO」が2002年にオープンしたのに対してモナレコは2004年とほぼ同時期にできたお店であり、グラスゴー、下北沢それぞれの街で似たようなコンセプトのお店が、その街のミュージック・シーンを長く支えてきたことはとても興味深い。またグラスゴーの音楽シーンには助け合いの精神があるとダグラスは話していたが、下北沢にも溝渕ケンイチロウ(カスタネッツ etc.)がリーダーを務めるDQSのメンバーのように助け合いの精神を持つミュージシャンが数多く存在していることを考えると、長く音楽活動を続けていくために必要なエッセンスが、これらから読み取れるように思う。
今回のインタヴューでグラスゴーと下北沢、「MONO」とモナレコ、共通する助け合いの精神...双方の音楽都市にこれら類似性が見られたことは、僕には新たな発見であり、またとても意義深いことだと感じた。単なる偶然かもしれないがそれに気づかせてくれたポップ・ブラザーズには本当に感謝している。これからも双方の街のミュージシャンが末永く音楽活動を続けていくことに期待をしつつ編集後記を終えることとしたい。