リスナー視点で見たポール・マッカートニー「アウト・ゼアー・ジャパン・ツアー」@東京ドーム 2013.11.19 Tue.

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ポール・マッカートニー

OUT THERE JAPAN TOUR

出  演:PAUL McCARTNEY

日  時:2013年11月19日(火) 開場:17:00 開演:19:00

会  場:東京・東京ドーム

料  金:前売 S席 16,500円/A席 14,500円/B席 12,500円/当日 見切り席 10,500円

VIP PACKAGE#1 90,000円/VIP PACKAGE#2 80,000円/サウンド・チェック参加券 65,000円


text by M.K.

ポール・マッカートニーがやってきた。。

11年ぶりの来日公演だが、僕が彼の生ライヴを見るのは初めてのことだ。

 

ツイッターやFacebookでは大絶賛の嵐。

コメントを見ていると涙した人も多いようだ。自分もその一人。

 

いきなり余談だが今回の来日にあたってはこの記事ポール来日めぐってライバルが競り合い 水面下の交渉)によると主催者側も相当苦労を重ねたようだ。

 

この感動は見た人でなければわからないとは思う。どれだけ文章で書いても多分無理。ポールの歌と演奏と観客とそれを覆うあの空気感、そこから生まれるなんともいえない「想い」は二度と再現できないだろう。その時その場でその人でしか味わえないものなのだから。

 

とはいえやはり日記ということで文字にしておきたいという想いもあるわけで、いつものごとくダメ元で挑戦してみることにした。再現とまでいかなくても、自分なりの気持ちの整理はできるだろう。

 

何をどのように書こうか考えてみたが、一般的なライヴレポートや今回のツアーの意義、意味づけなどは音楽雑誌や著名な方々がいくらでも書いてくれるだろうから、自分が何故あれほどまでに感動したのかについてシンプルに考えることにする。

 

ポールのライヴを見て、僕は何故感動したのか?

理由は主に三つに集約されそうだ。

 

 

ポール・マッカートニー
当日のライヴの様子

第一の理由は「これまでの僕の生活にいつのまにかポールの音楽が溶け込み、かつそれが19年に渡り続いていたこと」である。そのため、ポールが歌うたびに僕のこれまでの人生の様々な記憶とつながり、それがライヴ中に都度思い起こされて嬉しくなり感極まったのだ。

 

 

僕は彼の全ての音源を持っているわけではない。ビートルズはほぼすべてのアルバムを持っているけど、それ以外はまばらである。そんな自分だが、ライヴ中に流れる彼の歌はどこかで聞いたことのあるようなものばかりだった。世界的スーパースターということもあり、CMをはじめ街中やはたまた学校の授業などあちこちで触れる機会があったために、自然と歌がはじまればメロディを口ずさむことができただけだ。

 

「できただけ」と書いたがこのようなことができたのは彼が世界的なアーティストだったからということだろう。例えば音楽の教科書で「YESTERDAY(イエスタデイ)」を習ったり、「LET IT BE(レット・イット・ビー)」は同名映画のテーマ曲で使われ、「OBLA DI OBLA DA(オブラディ・オブラダ)」はアサヒビールのCMソングとしても起用された。最近では矢沢永吉がサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで「HEY JUDE(ヘイ・ジュード)」をカヴァーし話題になった。

 

さらに、僕はライヴ中にポール/ビートルズの音楽を身近に感じたことが幾度もあった。

 

中学生の頃、好きな歌を練習して発表するという音楽の授業があって僕が生まれてはじめて友達とカヴァーしたのが「DAY TRIPPER(デイ・トリッパー)」だった。カヴァーといっても3人編成でヴォーカルと教室にあったぼろいオルガンとピアノでわけのわからない演奏をしていたのだが(笑)、まさにポールがこの歌を歌ったときにそれまですっかり忘れていた当時の懐かしく恥ずかしい光景が脳裏に浮かび上がった。

 

また僕は今も趣味でビートルズのカヴァー・バンドをやっている。 この日のライヴでは自分もカヴァーさせてもらっている歌をたくさん披露してくれたもんだからテンションがあがらないわけがない。会場に来ていたミュージシャンはじめカヴァーしたことのある人であれば、ライヴでどのような演奏をするのかはとても興味があることであり、僕もその中の一人であった。

 

例えば「MAYBE I'M AMAZED(メイビー・アイ・アメイズド)」の全体の流れはもちろんサビのピアノの右手の抑揚のつけかたであったり最後の終わらせかた、「LET IT BE(レット・イット・ビー)」のエンディングに向かっていくにあたっての盛り上げ方、僕にとってはものすごく難しい「LADY MADONNA(レディ・マドンナ)」のアクセントの置き方やタイム感など、他にも「I SAW HER STANDING THERE(アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア)」や「OBLA DI OBLA DA(オブラディ・オブラダ)」など数え上げたらキリがない。

 

余談だが僕がそもそもビートルズを意識的に聴くようになったのはL⇔Rがカヴァーした「PAPERBACK WRITER(ペイパーバック・ライター)」を聴いたことによるものだったりする。当時彼らのルーツを追っていくかたちで入ったもんだから、この曲を聴いたときには当然L⇔Rのことが頭の片隅によぎったし、「LET ME ROLL IT(レット・ミー・ロール・イット)」なんてL⇔Rのアルバム名でもあるし・・・などなど(笑)。

 

ここに書いたことは一部ではあるけれど、ポールが歌うたびに様々な記憶が蘇ってきたのだった。これは彼が長年音楽活動を続けていたからであり、それらが様々な形で僕の生活に染み込んでいた証なのだ。たった19年の僕でさえ感極まるくらいだから、往年のファンであれば思い出がたくさんありすぎて、頭の中が大変なことになっていたことは想像に難くない。

ポール・マッカートニー
当日のライヴの様子

二つ目の理由は「ポール、ビートルズの音楽には歴史があり、それらを一定程度僕自身も共有していたこと」だ。

 

歴史と書いているがそんな大したものではないのかもしれない。ここでいうのは彼らにまつわる色々な出来事、ファンの間では有名な小ネタなどの一部を僕も共有していたということだ。レノン=マッカートニー名義となっていた理由であったり、彼らが無名時代に1万時間もの下積みをしていたという話(プロになる目安は1万時間)などの小ネタから、世界的なニュースとなったジョンの死の話もそうだし、彼らを取材した湯川れい子さんら世の中の先輩たちによる様々な記事(音楽評論家・湯川れい子も取材困難だったビートルズの熱狂)など、彼らに関する特集企画や本など、世の中には彼らにまつわるたくさんの情報が公開されており、その一部を僕も知っていたので、親近感を覚えていたのだ。僕は彼らの熱狂的なファンとは言えないが、それでも2年前にはロンドンでビートルズ・ツアーに参加しアビー・ロードをはじめゆかりのある場所を観光するなどしていて、彼らに触れる機会は他のバンドのそれと比べると多かったように思う。

ロンドンで購入したビートルズ・ツアーの観光ガイド本
ロンドンで購入したビートルズ・ツアーの観光ガイド本

多くのリスナー・ファン同様、僕も本を買ったり、ビートルズ・フリークの友達からいろいろな話を少しずつ聞いていたから、そこらへんのバンドより、もしかしたらリアルの知人以上に親しみを感じていたのかもしれない。もちろんごく勝手にだが・・・ファンとはそういうものだと思うし、音楽はもちろん彼らの歴史、子ネタなどとの接触回数が多かったために、自分の中での彼らのマインドシェアが高まっていて、そこに初めて本物を見たという嬉しさや会場の熱気も重なって感動を引き起こしたのではないかと思う。

 

・例えばポールが「ジョンのために」と歌った16曲目の「HERE TODAY(ヒア・トゥデイ)」は、82年にポールが活動再開した際の4枚目のオリジナル・アルバム『Tug of War(タッグ・オブ・ウォー)』」に収録されていたもので、これはその2年前に殺害された仲間への追悼歌であった。

 

・「LET ME ROLL IT(レット・ミー・ロール・イット)」では「ジミ・ヘンドリックスに捧げる」と言っていた。最初どの曲か思い出せず、後日知ったところによると今回はエンディングに、「Foxy Lady(フォクシー・レディ)」のフレーズを演奏していたようだ。ちなみにポールは2010年に出演したワイト島フェスでもジミ・ヘンへのトリヴュートで同曲を披露しており、そのときはエンディングで「Purple Haze(パープル・ヘイズ)」のフレーズを演奏していた。ポールとジミについて、リスナー・ファンの間では有名な話であるが、二人はジャズの帝王とも言われるマイルス・デイビスらと共にスーパーバンドを組む寸前だったこと(ポールがスコットランドで休暇中だったため実現されなかった)や、ジミがギターに火をつけたことで伝説となったモントレー・フェスティヴァルについて、当初ビートルズに出演依頼があったものの、アルバム制作で出演できなかったので代わりにジミを、オファーしてきたママス&パパスのジョンに伝えたところジミのの出演が決まったという逸話がある。 

・ 「リンダのために」と話してピアノを弾いた10曲目の「MAYBE I'M AMAZED(邦題:恋することのもどかしさ/ハートのささやき)」、この曲には亡き妻のリンダ・マッカートニーがヴォーカルとして参加していたのだから 言葉にできない想いがあるのだろう。ポールは彼女のことを非常に愛していた。

 

・ 25曲目では「ジョージのために」と言ってジョージの曲「SOMETHING(サムシング)」を、彼から譲り受けたマンドリンで披露した。しかもステージ の映像には当時のメンバーとの写真などが織り交ぜられており、見ているだけで目頭があつくなったのは僕だけではないはずだ。

 

・ 28曲目の「BACK IN THE U.S.S.R.(バック・イン・ザ・U.S.S.R.)」ではあるメッセージが映像に流れた。遠くてよく見えなかったのだが後日知ったところによると 「Free Pussy Riot」、これの意味するところはロシアの女性パンク・バンドのプッシー・ライオットが同国の大統領を批判したために投獄されたことを受けて、彼女を自 由にしてほしいというポールからのメッセージであったと思われる。ちなみにその大統領はビートルズの大ファンだそうだ。

 

・二度目のアンコールでは「福島のために」と前置きした上での「YESTERDAY(イエスタデイ)」を。もともとこの歌はポールが乳がんで亡くした母への想いを伝えた歌だと言われているが、

 

>Suddenly I'm not half the man I used to be

>There's a shadow hanging over me

>Oh yesterday came suddenly

 

歌詞の一節である上記部分を思うと、ポールが突然日本を襲ったあの日の出来事に重ねて歌ってくれたのではないかと思えたのだ、これは僕の勝手な憶測ではあるけれど。

 

 

上記のようにポールがこれまでの音楽人生で出会った大切な人たちへの想いがたくさん詰まっていたステージであり、彼らに関する背景知識などを共有できていたからこそ、ポールの想いに心を動かされたのであろうと思う。

 

ポール・マッカートニー
当日のライヴの様子/アンコールでもっと聴きたい?と煽るポール

三つめの理由は「プロフェショナル、スーパースターであったこと」だ。

 

還暦をとうに過ぎ71歳を迎えているポールが2時間半以上ものステージを難なくこなしていたことや、37曲歌いながら水を一滴も飲まない(ように見えた)ストイックさを持っていたことにも、ただただ驚くばかり。声も大変よく出ていた上に、コーラスがとても力強く圧倒的な迫力であった(先日のビーチ・ボーイズといいこの年代のバンドはコーラスが桁違いだ)。

 

一方観客に向けてはギター、ベース、ピアノなど複数の楽器を使い分け時には優しく、時には嬉しそうに茶目っ気ある演奏を披露したのも忘れられない。「HEY JUDE(ヘイ・ジュード)」では「男性だけ、女性だけ、みんな一緒に」と観客を巻き込みまさに会場が一体となったコール&レスポンスを行うなど本編の締めにふさわしい終わり方をしていたように、サービス精神が旺盛であった。

 

他にもお客さんを楽しませる意味もあったのだろう、冒頭から「こんばんは。日本語を頑張ります。でも…英語の方が得意です!」とMCで会場を笑わせながら、多くの場面で日本語を多用していたし、英語についても同時通訳で日本語のテロップを流したほか、携帯での写真撮影も自由にするなど、会場に集まった5万人のファンが楽しめるような工夫、配慮も見せていた。

 

アンコールではメンバーが日本と英国の国旗を身にまといながら登場したり、「もっと聞きたい?」とポール自ら何度もコールをしてファンを煽っていたけれど、それは日本のファンが恥ずかしがってアンコールをしないのではないかという不安を持っていたのか、それともポール自身が単に演奏したくてたまらなかったからそうしたのか(笑)、アンコールで6曲も演奏したところを見ると後者であったようだ。

 

年齢なんか感じさせないプロとしての仕事がそこにはあり、その凄さを感じることができてよかったと思う。ポールのステージを見て「もっと頑張らなきゃダメだ」と励まされたのは私だけではないだろう。

 

 

他にも凄かった/感動したのは何故なのか、考えられる要素はたくさんある。例えば1曲目は1964年に発表された「EIGHT DAYS A WEEK(エイト・デイズ・ア・ウィーク)」で、2曲目は2013年にリリースされたポールの新作『NEW』から「SAVE US(セイヴ・アス)」、この間約50年もの歳月が流れているにも関わらず、全く違和感なく聴けることがどれだけすごいことか、など書き出したらキリがないわけだが、僕にとっては、先に書いた三点があったからこそ心から感動し、本当に良いライヴであったと自信をもって言えるのだと思う。単に演奏が良いだけでは、ここまでの感動は生まれない。自分が持つバックグラウンドや想いとポールの歩んできた音楽人生が偶然にも重なることができたことによる意味/気持ちが大きく作用していることを改めて感じたライヴだった。

 

 

 

最後に御礼を。

 

僕がこの日のライヴを観ることができたのは、知人のYさんのおかげである。もともとチケットが取れなかったことや、仕事の事情もあり断念していたのだ。ところが直前になって「よかったらチケット譲ろうか?」と。

 

Yさんは東京公演のチケットを持っていたものの、先週行われた大阪追加公演のチケットを買い、東京から大阪までわざわざ駆けつけた(夜行バスで戻って翌日仕事をしたそうだ)。そしてそのときのステージがあまりにも素晴らしかったことから、「絶対に見たほうがいい。見なきゃ後悔するよ!私は一度見たから大丈夫」と言って譲ってくれたのだった。S席のチケットで本当は自分が行きたかったはずなのに。。。その優しさがとても嬉しかった。

 

最高のライヴを観る機会をくださったYさんにこのレポートをもって御礼に代えたいと思う。

ありがとう。

member

ラスティ・アンダーソン(G)

ブライアン・レイ(G&B)

ポール“ウィックス”ウィケンズ(Key)

エイブラハム・ラボリエル・ジュニア(Dr)

 

setlist

01. EIGHT DAYS A WEEK*
02. SAVE US**
03. ALL MY LOVING*
04. JET
05. LET ME ROLL IT
06. PAPERBACK WRITER*
07. MY VALENTINE
08. 1985
09. THE LONG AND WINDING ROAD*
10. MAYBE I'M AMAZED
11. THE THINGS WE SAID TODAY*
12. WE CAN WORK IT OUT*
13. ANOTHER DAY
14. AND I LOVE HER*
15. BLACKBIRD*
16. HERE TODAY
17. NEW**
18. QUEENIE EYE**
19. LADY MADONNA*
20. ALL TOGETHER NOW*
21. LOVELY RITA*
22. EVERYBODY OUT THERE**
23. ELEANOR RIGBY*
24. BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!*
25. SOMETHING*
26. OBLA DI OBLA DA*
27. BAND ON THE RUN
28. BACK IN THE U.S.S.R.*
29. LET IT BE*
30. LIVE AND LET DIE
31. HEY JUDE*


encore 1
32. DAY TRIPPER*
33. HI HI HI
34. I SAW HER STANDING THERE*

 

encore 2
35. YESTERDAY*
36. HELTER SKELTER*
37. GOLDEN SLUMBERS-CARRY THAT WEIGHT-THE END (Medley)*

 

*The Beatles
**From new album "NEW"


※オフィシャルサイトでの公開情報を引用させていただきました

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