南野信吾さんの追悼イベント。
毎年命日に行われているイベントも3回目。
あれから3年たって、ようやく裁判もはじまったばかり。
南野さんのお通夜には700人から800人という多くのかたが参列されていた。
個人のお通夜としては大変な規模でどれだけ多くの方に愛されていたのかがわかる。
今まで何度も書いたけど、ポプシクリップ。も南野さんに少なからずお世話になった。
南野さんはSwinging Popsicleの音楽プロデューサーだったので、やりとりをさせてもらっていた。当時まだ実績がなかったのに僕の気持ちを汲んでくれた方だった。
写真左上のリストバンドは色がブルーと2種類あって、オレンジを買った。サイトイメージにも合うしね。そしてCD-Rは南野さんの昔のバンドの未発表音源。
そうそう、フェイスブックで知ったんだけどこのリストバンドにはすごい奇跡があった。
何でもスタッフの方がリストバンドを発注したら、業者の方がこのイベントのことを知り、発注した数の2倍のリストバンドを作ってくれたらしい。値段は変わらず、で。
なんか、こういう人の気持ちが見えるのってすごくいいなあと思う。きっと見えないところで、僕の知らないところでも多くの人の気持ちが詰まっていたんだろうなあと。それを考えるだけでもじーんとくる。
出演者もみんなノーギャラで全ての売上は遺族の方に寄付される。ノーギャラといったって経費はかかっているわけでそれらはみんな出演者が負担。そんなことがもう3回も続いている。きっとこれからも続くだろう。
3.11の大震災、その後4年たって現場ではボランティアが激減して大変だというニュースを耳にした。震災直後は積極的に活動していた人たちも、4年もたつと、当事者でない方は次第に遠のいていく。人間とはそういうものだと思う。ボランティアは気持ちのある人が続けてやるものだから、それは仕方ない。震災直後に動いてくれただけでもありがたい話だしね。
時間がたつとみんな忘れていく、いや忘れなくても実際に行動を続けることができる人はどんどん減っていく。そんなもんだ。
南野さんの事件も当時はマスコミでたくさん取り上げられたこともあって話題になったけど、3年たった今となってはもう忘れている人も多い。それは仕方ない。でも当事者はずっと色んな気持ちを抱えながら生きていく。
僕と南野さんの接点はほんの少しだったけど、その少しの接点がポプシクリップ。というサイトにとっては大きな一歩だったから、決して忘れることはない。
ライヴはかっこよかった。どのバンドもロックしてた。
特に初めて観たBL.WALZ、すごくかっこよくてCD買いたいと思ったら売ってなかった、残念。
以前南野さんと会話をしたときに僕はあるバンドを一生懸命応援していきたいと話した。南野さんもぜひ一緒に頑張ろう、と話してくれた。たわいのない会話だったけど、そのときのことも思いだすと胸が熱くなる。お通夜の席で僕が南野さんに誓ったのは、僕なりに精一杯そのバンドをサポートするということだった。
なんとか今のところはその誓いは果たせている、と思う。南野さんがそのバンドにしていたことに比べたらまだまだだけど・・・見守っていてくれたら。。。
また来年の6/10に会いに行きますね。
南野さんが亡くなって3年、やっと裁判が始まったところです。
もしよかったらご支援のほどよろしくお願いいたします。
http://minamino-shingo.com