2023年7月7日、ついにシングルCDの祭典「短冊CDの日 2023」が到来。大滝詠一『幸せな結末』の再発をはじめ、新作・旧作を含め全61作品もの8cm CD作品が発売されるとともに、恵比寿BATICAでのLIVE&DJイベント等、企画にまつわるライブや各種イベントも多数開催されている。
同企画を後援する「短冊CD発売35周年勝手に応援委員会」は、いずれもインディーズの音楽レーベルであるMARQUEE≠HOUSE、なりすレコード、miobell recordsからなる、2022年結成の合同委員会だ。3レーベルは短冊CD生誕35周年の記念日にあたる2023年2月21日、短冊CDの可能性を追求した新作4作品を同時リリース、好評を得た経緯がある。
インディーズながらそれぞれに唯一無二と言える企画力・行動力と魅力を持つこれらレーベルは、果たしてどのような理念と方針で活動しているのか? 今回はMARQUEE≠HOUSEのフジタダイスケ、同レーベルと一体で活動するユニットmarble≠marbleのTnaka(てぃーなか)、そしてmiobell records主宰にしてWEBメディア「ポプシクリップ。」編集長・黒須誠が登場。レーベルの発端から運営の苦労話、活動のスタンス、そしてもちろん短冊CDの話題まで、音楽レーベルを切り口として大いに語る対談を敢行した。
インタビュー・文 市村 圭
企画・構成 編集部
<作品情報>
アーティスト:V.A.
タイトル:BLUE TENTION #bt20230221
発売日:2023.02.21
レーベル:miobell records
品番:PCMR0022
形態:8cm CD
仕様:MP3 DLコード、アーティストコメント入り特製歌詞カード付
価格:1,100円(税込)
<収録曲>
1. Maybe Tomorrow / PLECTRUM
2. Felicity fall / Three Berry Icecream
3. KEEP IT GOIN' (Full ver.) / Grenfelle
4. I SAW THE LIGHT / Mood Six*
5. SHOOTING THROUGH THE BLUE -blue wo uchinuite- / Kenichi Kurosawa (ex.L⇔R)**
*トッド・ラングレンのカヴァー
**L⇔R名義楽曲をアメリカ人プロデューサーを迎えた本人によるセルフカヴァー
<作品情報>
アーティスト:V.A.
タイトル:BLUE TENTION #bt20230707
発売日:2023.07.07
レーベル:miobell records
品番:PCMR0024
形態:8cm CD
仕様:MP3 DLコード、アーティストコメント入り特製歌詞カード付
価格:1,320円(税込)
<収録曲>
1. A Man of Great Promise / The Style Council
2. Tender Blues / 杉本清隆
3. Do you remember? / The Yearning
4. I just wanna kiss you [Mono Mix 2019] / Swinging Popsicle*
5. ぼくらが旅に出る理由 -Motion Blue yokohama 2018 Live / 野宮真貴**
6. Rainin' In My Heart / 黒沢健一***
*初CD化/モノラル・ミックス音源
**小沢健二のカヴァー/ライヴ音源
***黒沢健一の死後に発表された遺作
<作品情報>
アーティスト:marble≠marble
タイトル:誰それ?!
発売日:2023.02.21
レーベル:MARQUEE≠HOUSE
品番:MMCS-03
形態:8cm CD
価格:1,200円(税込)
<収録曲>
1. 誰それ?!
2. 「派手!!!」
3. 誰それ?! (オリジナル・カラオケ)
<作品情報>
アーティスト:marble≠marble
タイトル:WONDERLAND
発売日:2023.07.07
レーベル:MARQUEE≠HOUSE
品番:MMCS-04
形態:8cm CD
価格:1,320円(税込)
<収録曲>
1.WONDERLAND
2.コンビニ・ラヴァー
3.WONDERLAND(オリジナル・カラオケ)
MARQUEE≠HOUSE
2023年7月20日(木)Open : 19:00 / Start : 19:30
イベント名:8cm CDカルチャー調査隊
会場:神奈川・横浜NAKED LOFT(トークイベント)
2023年7月30日(日)open : 12:30 / Start : 13:00
イベント名:激マブ!!3枚の短冊 in 大阪
会場:大阪・南堀江environment Og
出演:marble≠marble / 3776 / Yes Happy!
2023年10月15日(日)open : 18:00 / Start : 18:30
イベント名:Tnaka Live Factory 2023
会場:東京・新宿Zirco Tokyo
出演:marble≠marble(ワンマンライヴ)
Miobell Records
POPS Parade vol.37 「Miobell Records presents 祝・デビュー25周年記念!Swinging Popsicle One Man Live」
日時:2023年8月6日(日) open 17:00/start 17:30
会場:東京・下北沢モナレコード
出演:Swinging Popsicle(フルバンド編成)
備考:来場者には25周年記念グッズ&限定音源をプレゼント!
──まずは MARQUEE≠HOUSE と miobell records、各レーベルの発端から伺えればと思います
フジタ 「MARQUEE≠HOUSE は、marble≠marble の盤を出すために2018年に作ったレーベルです。既存のレーベルにお願いするよりも、自分たちでやりたいな、という思いがあって。それで周囲の方々に訊いてみたら、DIYでやるためのアドバイスをくれたり、インディーズCD流通会社の担当さんを紹介してくれたりしたんです。そういう経緯で、わりと軽いノリでレーベルを作りました。今のところ、レーベルとしての活動は marble≠marble 関連に専念しています」
黒須 「もともと僕は、Swinging Popsicleというギターポップバンドのお手伝いをしていました。7年くらい前、ボーカルの美音子さんが、Alma-Grafe という別のバンドを立ち上げようという話があったんです。また同時期に、ギターポップや音楽ゲームなどの界隈で有名なorangenoise shortcutの杉本清隆さんが、ソロ名義で活動を始められることになって。もともと僕がやっていたライブイベントへの出演なんかで繋がりがあったのもあり、それなら一緒にやってみませんか、となりました。つまり、杉本さんと Alma-Grafe の音盤を出すために始めたレーベルが miobell records です」
──それぞれのレーベルを立ち上げは、ほぼノウハウがない状態から始められたことと思います。どのように体制を組み立てて行かれましたか。まずは MARQUEE≠HOUSE からお聞きしたいのですが、レーベルを立ち上げる以前、marble≠marble は別レーベルからアルバムを出されていますね
フジタ 「お世話になっていたイベンターさんからの紹介で、GLITTER RECORDS というレーベルから1st『marble≠marble』と2nd『J≠POP』を出しました。そのあと2018年頃のタイミングで、そろそろ自分たちでやれるんじゃないか、ということになったんです。周囲の方々にお話を聞くと、それぞれレーベルにお世話になっていたとしても、例えばプロモーションや流通をあまり積極的にしてくれなくて、結局レーベルからCDを買い取ってライブ会場で売ってるとか。そういう話を聞くと、それだったら自分でやっちゃえばいいじゃん、と思ったんですよね」
──1st・2ndアルバムを既存レーベルで出された経験を踏まえての独立だったわけですね?
フジタ 「1枚目・2枚目は全国流通に出したんですけど、プロモーション活動もうまくできていなくて、ほとんどただ流通しただけ。その頃marble≠marbleは大阪で活動していまして。梅田NU茶屋町のタワーレコードがインストアに力を入れてて、そこでやることが一種のステータスでした。それでインストアは頑張って実現したんですけど、結局あんまり枚数も出ず。実質、そこでインストアをするためだけの流通になっちゃったのかな。2ndのときはたまたまツテがあって、大きめのニュースサイトに載せてもらったりしたんですけど」
Tnaka 「その2ndのときに、初めてMVを作りましたね」
フジタ 「そうそう、MVがうまく展開できたのもあり、枚数的にはそこそこの数字にはなりました。でも結局そのくらいしかできなかったです」
Tnaka 「その頃に、知り合いのアーティストさんやアイドルの運営さんとかと話をする機会が結構ありまして」
フジタ 「このあたりの話は、marble≠marble の形態の変化とも重なりますね」
──せっかくの機会ですので、marble≠marble というユニットの変遷も含めて、詳しく経緯を伺えますか?
フジタ 「最初は3人でバンドみたいに始めたユニットです。Tnaka がボーカル、松本さんがパソコン、そして僕がシンセ。バンドと言いつつ、結局は女性ボーカルが圧倒的に目立つわけですけどね。その頃ちょうど、インディーズアイドル、いわゆる地下アイドルの流行がありまして。加えて関西独特の事情として、全体のパイが狭いぶん複数の界隈同士が混じり合うような、面白いイベントが結構あったり。そういうところで、marble≠marble がわりと波に乗れたんですよ。その結果、アイドルの知り合いや、アイドル文化のお客さんも増えていきました」
──アイドルという文化自体が、急激に発達・変化してゆく時期と重なったわけですね
フジタ 「そもそも2000年代のアイドルは、例えば芸能事務所がデパートでイベントをやるような、いわゆる従来型の形態が主でした。それが2010年代からは、バンドマン出身の方がプロデューサーになって、とても凝った音楽をアイドルにやらせるのが流行り出したんです。そしてさらに進んで、アイドル自身がセルフプロデュースという形態も増えていました。その中で、ユニットのメンバーとしての僕と松本さんは、微妙な立ち位置というか。プロデューサーのようでいて、でも marble≠marble のメンバーでもある。だからユニットとしてはセルフプロデュースでもありつつ、界隈の文化的な視点では、音楽的なバックボーンがある人がきっちりと楽曲面を見ているアイドル、みたいに見えていたようです」
Tnaka 「音源も、アイドル文化でよくある手売り限定ではなく、全国流通もしていましたし」
フジタ 「仲良くなったアイドルさんたちの中にも、そういう点を評価してくださる方々がいらっしゃいました。それで実際にバンドマンの人たちがアイドルグループを立ち上げて売り出していくプロセスを間近で見ながら、それを吸収していった、という感じです」
Tnaka 「例えばプロモーションのやりかたとか、音盤の出し方とかについては、”あれどうやってやったの?”と気軽に訊いたら、”この人に相談すればいいよ”と紹介してくれたり。そういう雰囲気の中で、ひとつひとつ進めていきました」
フジタ 「それに加えて、松本さんの存在も大きかったです。もともとプロで音楽制作をやっていた人なので、権利的なところを含め、分からないところは松本さんに訊くことができました。とはいえ最近になって、やっぱり僕自身ももう少し知っておかなきゃいけないと、勉強を始めたところです。あと権利関係で楽なのは、marble≠marble が3人のもの、という点です。3人で作った曲を出して、売上も3人で山分けなので、モメることは無かったですね」
──松本さんがもともと小室哲哉さんのツアースタッフをされていたとか?
フジタ 「もともとTMN『EXPO』のときのスタッフをされていて。小室さんが作ったロジャム・スタジオでは、責任者をされていました。とはいえ、松本さんも僕も、メジャー的なやりかたをそのまま持ち込みはしなかったんです。少なくとも、お金を稼ぐことを第一の目的にするのはやめよう、という共通認識はありました。お金を第一にしてしまうと、“楽しくなくなる”ことがいっぱいあるじゃないですか。だからあくまで、3人がやりたいことをやる、という姿勢が前提にありました」
──そうして2018年、marble≠marble は形式上はTnakaさんの一人ユニットとなり、フジタさんは MARQUEE≠HOUSE レーベルの人間として、サポートに専念するようになりましたね
フジタ 「大体そういう経緯です。ちなみにプロモーションまわりのノウハウに関しては、なりすレコード・平澤さんの影響がかなり大きいですね。3rdアルバムまでは、ライターさんにキャッチコピーを考えてもらったり、MVをたくさん作ったりと、自分たちなりに試行錯誤をしていて。4thアルバムのときに平澤さんに声をかけて、プロモーションのやりかたを伺って実践していきました」
──miobell records はいかがでしょう? 2016年にレーベルを立ち上げられて、盤を作ろうとなったわけですよね。何かしらの経験があったのでしょうか?
黒須 「いえ、全くでした。よくレコード会社で働いていた人が始めるとか、あとはレコード会社で担当していたバンドと一緒に抜けて独自レーベルを作るパターンなんかが多いと思うんですけど、そういう意味では僕は素人。WEBメディアの運営や、音楽イベントの主催などはやっていましたけどね」
フジタ 「イベントは、レーベル立ち上げ以前から主催されていたんですね」
黒須 「ええ、先日 marble≠marble にご出演いただいた POPS Parade というイベントを、2011年からやっています。でも、当時も今も普段は会社員をやっているので、開催はせいぜい年に数回です」
Tnaka 「音楽活動はなにかやられていたんですか」
黒須 「学生の頃はコピパンをやっていました。もともと吹奏楽やピアノをやっていたこともあって。就職後も、近所の方々とビートルズのコピバンを組んで市民会館で演奏したり、社会人3年目まではジャズのビッグバンドをやっていたり。でもぜんぶ趣味の延長というか、部活のノリでやっていたものです。音源を出していたわけでもないですし」
──そうなるとレーベル立ち上げ時点では、音源制作も音盤作りも未経験だったわけですね
黒須 「プロダクトの制作進行自体は、本業のほうでプロモーション関係の仕事をさんざんやっていたので、その経験を活かすことができました。音楽特有のことは分からなかったけど、ものづくりの流れはだいたい把握していて、対象がCDになっただけ、という認識でしたね。音盤のパッケージ作りについては確かに経験がなかったので、まずは真っ先にネット検索です。一番安いプレス業者を探したりするところから始めました。それ以外にもネットの記事漁りで学んだ部分が多いのと、実はレーベルを始める前にインディー・レーベルの先輩方にインタビューをしていてそこで色んなお話を伺って学ばせていただきました。サラヴァのピエール・バルーさん、トラットリアの牧村憲一さん、ラリー・レーベルの近越文紀さん、ローズ・レコーズの曽我部恵一さんなどです。その内容は『ポプシクリップ。マガジン』第8号のレーベル特集でまとめています」
──制作進行自体には知見があったとはいえ、音楽レーベルならではの制作体制の確立には苦労されたのでは?
黒須 「そうですね。音源の制作過程を大まかにいえば、レコーディングがあって、ミックスがあって、マスタリングがある。その程度は話には聞いていたし、Swinging Popsicle のお手伝いをやっていたのもあって、そのようなプロセス自体が存在するのは分かっていました。とはいえ最初は、制作の流れの実際というか、実務については全然分からない状態でした。そのあたりについては、レーベルの初音盤として杉本さんの作品を出したときに、レコーディングに始まる一通りの流れを杉本さんに教えてもらいながら、完成まで並走する経験ができたのが大きいです。杉本さんはソロ名義で活動される以前、ユニットの orangenoise shortcut 時代から、何枚も音盤を出されているベテランですから」
──流通についてはいかがでしょう?
黒須 「流通に関しても事情は同じですね。やはりジャンルは違いますけど、本業では流通さんも関係する仕事をしているので、商品流通とはどんな商売か、概要は掴めていました。それの音楽版をイメージして、例えば卸にあたる会社にどんなものがあるか調べたり、まずは手売りプラス小規模なネット販売から始めると決めたり。販売の委託については、最初はディスクユニオンからでした。レーベルから直接卸せるから。ユニオンにメールして、取引しませんかと持ちかけて、すぐに承諾を頂けました」
──ユニオンとはそんなにスムーズに取引を始められたんですね
黒須 「実はそれにも伏線があって。もともと僕、レーベルを始める前から、先程ちょっと名前を出した『ポプシクリップ。マガジン』というZINEを作っていて。基本的に手売りとAmazonだけだったんですけど、ディスクユニオンでも売りたくなって。ZINEを実店舗に持参して、これ扱ってくれませんか、って直接交渉をしたんですよ。それで取引をしてもらえて、そのときに取引口座登録をしてあったんです。だからあらためてレーベルで売ろうというときも早かった」
──偶然ですが、今日は『ポプシクリップ。マガジン』の第8号を持参しています
Tnaka 「これ、いいですね。すごくワクワクします。音楽雑誌だと『WHAT's IN?』とかが好きだったんですが、休刊したものも多くて。こういうのを作られていたから、アーティストさんとの繋がりがあったんですね。ラインナップも、これこれ、って感じだよね」
フジタ 「ラインナップが本当にこう、好きな人にはぜんぶハマるというか、コーディネートが見事ですよね」
黒須 「ありがとうございます」
──その後 miobell records は、多くのアーティストの音源リリースに協力するようになっています。輪はどのように広がっていきましたか?
黒須 「そんなこんなでレーベルをやり始めているうちに、それを聞きつけたアーティストさんが、音源を出したいと声をかけてくださることがあったんです。最初は、three berry icecream のイケミズマユミさんでした。先日のイベントでも marble≠marble と対バンで出演されていましたね。以前から POPS Parade へのご出演などで縁はあったのですが、音源についての打診は予期していませんでした。でも、しっかりとお話を聞いた上で、デモを聴かせてもらったらすごく良くて、リリースの話を具体化することになりました。他の方々については、Flow The Girl とコントラリーパレードは以前イベントに出ていただいたご縁があって、僕から“よかったら出しませんか?”と声をかけさせてもらいました。歌手常盤ゆうプロジェクトは、メンバーと一緒にバンドをやらせていただいたことがあって、その延長だったりします。今はレーベルの存在を知っていただいて、声をかけていただいて…という経緯が多いです。人の繋がりですね」
フジタ 「先程のレコーディングの話でいうと、原盤権は黒須さんにあるわけですよね。ですから黒須さんがレーベルとして費用を出すことになる。レーベル側の予算と、アーティストさんの希望との折り合いというか、バランス取りが必要になることはありますか」
黒須 「原盤製作費については案件によりけりですね。持ち込みの場合もあるので。予算とのバランスについては、僕、まずは最初にエクセルで収支表を作るんです。値段と売上予想から逆算すると、レコーディングにはこれくらいは出せます、という計算をします」
フジタ 「アーティスト目線でいうと、自分がいつも使っている高品質なスタジオとエンジニアで出したい、みたいな要望もありますよね。折り合いを付けるのが大変だったりしませんか」
黒須 「折り合いは常に考える必要がありますよね。さすがに、ここのスタジオで録れないなら出しません、というほど極端な要望はないですけど。まずスタジオひとつ取ってもピンキリで、しかもフルバンド全てでスタジオを使うと、どうしても高くなってしまう。そこで例えばですが、ドラムと歌はスタジオを使って、他のサウンドは宅録に切り替える。そんな感じで、お金をかけるべきところに緩急をつけてやったりはします。幸い、お手伝いしている方に技術と経験のあるベテランが多いので、そもそも宅録のレベルが高いんですよ。その環境を活用しつつ、それでもきちんとスタジオを使うと音が違うのは確かなので、勘所を掴んでうまくやっています。ただ僕が個人的にスタジオサウンドが好きなので、全部スタジオで録って作ることもありますよ。大半はそうです。あとはミックスをきっちりやれば、音源としては高品質に仕上がるじゃないですか。だからミックスエンジニアは実績のある方にお願いして、そこで調整したり。それでも、できないときはできないと言いますよ」
──はっきりと、これはできないと伝える場合もあるんですね
黒須 「ありますよ。分かりやすい例としては、レコードで出そうとする場合です。そもそもプレス費が高価ですし、どうしてもハードルは高くなりますね。レコードで出す場合には制作費のほうを削ることになりますが、どちらがいいですか、みたいな話はします」
フジタ 「うちの場合は、先に予算の天井を決めることはなくて。最初の頃はレコーディングを松本さんのマンションでやるところから始まって。そのあとスタジオのボーカルブースだけすごい安く貸してくれるところがあって。関西の人がよく使ってる、『スタジオ246』という場所です」
Tnaka 「ほんとにすっごい狭いんですけど」
フジタ 「ただ、前作からは松本さんのツテで、プロの方にレコーディングをお願いしています。2人とも東京に出てきたっていうのもあって」
Tnaka 「でもレコーディングを頼むのは、ほぼボーカルだけです。楽器は打ち込みで済むので」
フジタ 「楽器の収録もたまにはありますけどね。ストリングスを録ってもらったり、あとベースだけ宅録で録って送ってもらったり」
Tnaka 「あと、MVとかデザインとかは私が全部できちゃうので、費用がかからないのも大きいです。そもそも、そのあたりのデザインがやりたくて音楽やってる、という面もあって。例えば8cmのCDを出すとかも、あのパッケージというかデザインが好きで、あれが作りたいっていうのが動機のほとんどです。それでもお金がかかるとしたら、カメラや動画の撮影とか。あとはスタジオ代とかも、できるだけお安く抑えたりとか、そんくらいだよね」
フジタ 「だからなんとなく収支を見て、まあ取り返せるだろうという感覚を頼りに、バランスを取って続けています」
──費用と無関係ではない話として、レーベルをどう長期的に続けていくか、という課題はありますよね
フジタ 「そのあたり、どうしてもジレンマはあって。例えば最初から費用を思い切って積んで展開するとか、もしくはクラファンで高い目標額を設定して、仮に集まらなくても自分で持ち出すとか。活動初期にお金を一気に注ぎ込まないと次のステップには行けない、という考えも、ぜんぜんあり得ると思うんですよ」
──でも、そういう方向には行かなかったと
フジタ 「収支をなんとなく見ながら小規模にやっている分、その類の勢いがあってこそ得られるチャンスは逃してきたかもっていうのはあります。確かに反省はありつつ、でも後悔はしていません。例えばそこに大金を突っ込んで、コケて苦しい思いをすることもなかったので、その結果、長く続けてこれた」
Tnaka 「そうですね、うちらがそういう性格だったら、たぶんアイドルとして長くは続けられないし、お客さんも疲れちゃうし」
フジタ 「これが仮にビジネスとしてのアイドルだったら、戦略を立ててハイリスクハイリターンで行かなきゃいけない。やっぱりお客さんは、勢いがある人、売れていきそうな人に付くんです。もちろん楽曲とかルックスとかも大事な要素ではありつつ、自分の応援しているアイドルが売れてゆく、という点に、多くのアイドルファンは大きな楽しみを感じているので。marble≠marble はあまりそういう方針を取ってこなかった。そのかわりといったらなんですが、大きな成功がない一方で大きな失敗もなく」
黒須 「それで現に数年間、長く続けることができているわけですね。すごいですね。僕は失敗だらけですもん。最初はショックだったんですけど、まあ普通にサラリーマンをやっていることもあって、幸いにして身を崩すほどではない。初期投資という意味では、僕はレーベルを始めるときにある程度お金を用意しておいたんですが、それは一気になくなっちゃって。レーベル大変だわってなりました。素人の失敗みたいな感じですね」
──ある程度の失敗も糧にしつつ、経験を積まれたわけですね
黒須 「とはいえ、払うべきところは払う、という方針はあって。例えばイベントをやったあとに、ギャラを払わないとか、うやむやにするとかの良くない話を耳にすることもあります。でも、そこはいちおう社会人なので。できる限りきちんと払いつつ、さっきの話の通りレコーディングで工夫したり、アセンブリを自分でやって経費削減したりしながら細かく節約をしたりとか、本当にお金が足りないときは自分のレコードをメルカリで売って、ギャラに当てたりしてるわけです(笑)」
──MARQUEE≠HOUSE にしろ miobell records にしろ、本業ではないからこそ色々な試みが可能、という見方もできそうです
黒須 「それはある。本業だとこの規模はちょっと無理だね。さっきの予算の話では、miobell records でも予算はそこまできっちりとは決めてなくて。変な話かもしれませんが、予算を増やす必要があったら、売る枚数を増やせばいい。つまりプレス枚数を増やして1枚あたりの原価を薄めて、そこから利益が追加で出るから、あとはそれを5~10年くらいかけて完売したらいい、という考え方です」
フジタ 「でもそれは、長く売れるものを作られているからこそのやり方ですね」
黒須 「細々と長く売れるんだよね。3年とか5年かかってリクープすることも実際にあります。でも最終的にリクープすればいいというか、単一作品としては一部を除いたら完売したらトントンになるはずで、最終赤字にはならないようにはしているつもりです。リリース自体が多いので、目下トータルのキャッシュフローは大赤字なんですけど、これもそのうちリクープしていくはずだから」
フジタ 「うちの場合は、リリースから時間が経つと売れないもんね」
Tnaka 「新しく知ってくれた人は、とりあえず新しい作品を、ってなるし。それで好きになってくれた人は昔のも買うけど」
黒須 「新譜をリリースすると過去作も売れるのは、本当にその通りですよね」
フジタ 「少し話は逸れますけど、例えばビジネスとしてアイドルをやっている場合、大阪ですごく売れてるアイドルさんですら、東京遠征はハードルが高いんですよ。それは収支で見ると、東京のほうがお客さんが少ないのに、交通費・遠征費がかかってしまうからです。でもうちはそういう縛りもない。別に赤字でも、一人でも多くのひとに聴いてほしくて、東京でライブやりたいからやりに行くだけ。格好付けた言い方ですけど、マインドとして、一人でも聴いてくれる人がいれば、そこに行ってライブをするだけだったので。ですので、東京いっぱい行っててすごいですね、みたいなことは周囲から言われていました」
Tnaka 「未来に賭けてる」
フジタ 「東京遠征一回あたりの儲け、みたいな要素を一切考えてないというか、それが遠征の動機ではないので。これに限らず、お金中心で動くよりも、色んなことが自由にできた部分はあるかもしれない」
──インディーだからこそ、収支よりも理念を優先して活動できた、と
Tnaka 「そうそう。でもワンマンライブとかするとき、自分たちの身の丈に合った範囲で、このくらいだったらお客さん来てペイできるかな、みたいな感覚は現実的ですよね」
フジタ 「よくアイドルさんで、1年後の例えばZeppとかの大きなハコを押さえちゃって、会場を埋めるぞ!を目標に掲げる。それでお客さんの応援したい気持ちが盛り上げっていく、みたいな現象があると思うんですけど。うちは定員30人のところで初めてワンマンをやって、東京の初ワンマンもめちゃくちゃ小さいところを選んで、でもきちんとソールドアウトはする、という具合でした」
Tnaka 「そこのバランス感覚は、2人で一緒かもしれない」
黒須 「すごくいいですね、そのバランスというか考え方。僕はついチャレンジをしちゃうので。実は次回の短冊CDコンピで、ポール・ウェラーのザ・スタイル・カウンシルを入れるんです。ああいうのも普段はやらないというか、新しい挑戦なんですけど」
Tnaka 「確かに短冊CDも、”楽しい”とか”面白い”が優先してないと絶対にやらないですよね。元を取ろうという考えがベースの人はやらない」
黒須 「短冊CDの企画で最初の作品を出そうとしたときに、marble≠marble さんみたいに、アーティスト名義の単独も出そうかと思ったんですけど、それだとつまんないから、だったらコンピにしようとなったんです。あんまり短冊のコンピってないだろうって」
──短冊CDという枠組みから、「~勝手に応援委員会」仲間のなりすレコードさんを含め、切り口が鋭い作品ばかり出てきましたね
黒須 「なりすの平澤さんがすごかったよ、(一色萌さんの6曲入り)シングル集って」
Tnaka 「確かにミニアルバムくらいの収録時間はあるから、できちゃいますね。marble≠marble としてはやっぱり90年代のリスペクトっていうか、私が90’s J-POPが大好きなので。メインが1曲あって、カップリングか両A面曲、それにカラオケ・バージョンが入ってる。そういうのが憧れというか大好きで。これが作りたい!みたいな感情がまずあるので、コンピを作るとか、シングルベストみたいな発想は全くなかったですね」
フジタ 「でもなんかコンピって、アーティストサイドではないレーベル専門・イベント専門の方からすると、夢のような感じだと思うんです。もし自分がファンだったら、この組み合わせがあったらめちゃくちゃヤバいよな、という。今回の miobell records のコンピでいうと、いわゆる渋谷系と、その元になっているソフトロックをコンパイルしてて。渋谷系のファンからすると、夢のような企画ですよね」
Tnaka 「このあいだの POPS Parade とか短冊CDのインストアのときも、オリーブ少女のような雰囲気の方々がいらしているのを見て。マジでこういうのがめっちゃ最高、という人たちに刺さってるんだって、よく分かります。やっぱりウチらとフロアの感じが違ってて」
──marble≠marble は、プレスミーさんが8cm CDパッケージを始められる前から、『Back to InDo』など8cm CDを出されていますよね
Tnaka 「私が、作りたい!って言ったんです」
フジタ 「そう、作りたい思いだけはあって、CDだけなら当時も8cmで作れたんですけど、肝心のトレーがない。苦肉の作で、8cm CDを12cm用のケースに入れて売っている方もいました」
Tnaka 「大きさは12cmなんですけど8cmに見えるように、外側が透明なプラスチックになっているCDを出されてたり」
フジタ 「みんな工夫をされていて。うちは厚紙をふたつに折っただけのジャケットに、真ん中の突起部分だけ買って貼って、CD自体は普通に8cmで作りました」
Tnaka 「なんちゃって8cm」
──当時は今のように、8cmのプラケースやジャケットまではやってくれなかったんですね
フジタ 「まだプレスミーさんの8cm CDプレスもなかったですし、あれは本当に大手の、自社工場を持ってるところしかできなかったので」
Tnaka 「プレスミーさんのおかげで、やっと夢が叶った。今回の短冊CDの日企画でも、ソニーさんまで面白いと思って参加してくれたことが嬉しいですね」
──短冊CDの新譜を機に、marble≠marble の音楽を時系列で聴いていきましたが、本当に色々な要素が入っていますよね。前作のクラフトワーク直系のデトロイト・テクノから、90年代のJ-POPの要素もあり、2000年以降のいわゆるアイドル的エレポップもあり。そういう多様な音楽を織り込みつつ、でもこれもまた marble≠marble だよね、という共通見解が、3人の中で存在したのでしょうか?
フジタ 「それは最初からというより、やりながらできていった、というのが正しいですね」
Tnaka 「ベースとなる3人の音楽の趣味自体、お互いに重なる部分もありつつ、全然違うところもあって。例えば松本さんとフジタさんがいいねと言ってて、でも私は分かんないなとか。でも出来上がってみたら、もしくはライブやってみたら、”これいいじゃん”ってなったり」
フジタ 「役割分担としては、最初に僕が曲を作るんですよ。僕も音楽活動自体は色々やってきましたけど、DTMでちゃんと曲を作るっていうのは、marble≠marble をやり始めてからでした。松本さんは、marble≠marble では狭義の作曲はしていないんですが、僕が作った曲をいいように調理してくれることで完成するんです。さっきの話でも、ミックス、マスタリングっていうのがものすごく大事っていうのがありましたよね。耳に聴こえてる以上、曲の8割9割はミックスとマスタリングで決まるっていうくらい。それで、僕は自分が聴いてきた音楽や、ライブで観て良いと思ったものを取り入れて、曲を作り始めていった。最初は、言ってしまえば僕が本当に素人で、思いついた曲を次々と作って、結果としてジャンルとしてもバラバラだったんです。でもそれを松本さんのミックス・マスタリングを通すことにより、なんかみんな統一感のある雰囲気というか、marble≠marble の音になる」
Tnaka 「90年代っぽいというか」
フジタ: 「Tnaka はTnaka で、もともとB’zや電気グルーヴが好きというのもあって。音的には電気グルーヴのほうが近いんですけど、でもパフォーマンス的には結構ロック。特に昔は、一曲めで暴れて体力ぜんぶ使い果たす、みたいなライブをやってたんです。それがまたパフォーマンス面での marble≠marble らしさになっていました」
Tnaka 「そのうちに、最初は意図してないけど、90年代っぽい・ちょっと懐かしい、みたいに言われ始めたんです。3rdくらいからかな」
フジタ 「marble≠marble として作品を出していくにあたって、コンセプトが弱いという側面が当初はありました。1~2枚目は、エレクトロポップの流行の残り香という感じで見られたり。CDジャーナルのレビューでは、『ポップなのだがブッ飛んでいてやりたい放題』『アイドルでアヴァンでストレンジなエレクトロ・ポップ』と書かれてて、要はめちゃくちゃだったんですよ。コンセプト不明の初期衝動で作られたのが1stで、2ndでもまだそれに近い。さすがにもうちょっと考えなきゃって、3rdのときにレトロ・フューチャー・アイドルというフレーズを打ち出したんです。それまではアイドルって言ってなかったんですけど」
──新体制になったあたりですね
フジタ 「3rdのジャケットは、VHSをいっぱい積み上げて、その中に埋もれてるみたいなジャケットにしました」
Tnaka 「私の中で、”それを作りたい”となったんです。コンセプトが90年代だから、VHSを出そうって。せっかくジャケット用に作るんだったらと、中身に入れる映像まで作って」
──実際に映像が入ったVHSを制作して、単独販売までされていましたね
フジタ 「空のテープでやるのも嘘になっちゃうし、だったら中身入れて撮影して、終わったら捨てるのももったいないんで売るっていう(笑)」
Tnaka 「とはいえ実際にVHSを再生できたと報告してくれたの、3人くらいしかいないから。オブジェですね」
黒須 「確かに、VHSの再生環境はもう持ってないなあ」
フジタ 「ともあれ MARQUEE≠HOUSE を立ち上げて、3rdくらいからコンセプトをきちんと考えて作り始めました。レトロ・フューチャー・アイドルというキャッチも、コピーライターの方に相談して作ったんです。とはいえ、3枚目もまだ音楽的にはバラバラというか、迷いがありました。それを踏まえて、次は”90年代”と”J-POP”をキーワードにポップにやってみようと、4枚目の『89/99』ができたんです。そのとき初めて、思いついた曲を並べるだけじゃなく、きちんとコンセプトに従って制作する、が実現できました。それで、4thでポップに偏り過ぎて飽きちゃったのもあって、今はテクノのほうを重視したくて、そちらをやっています」
Tnaka 「今まではまず、デモCDって呼んでる新曲入りのCD-Rを、一般流通はせずライブ会場で売ったあと、それをまとめたアルバムが出ますよ、という流れでした。でも今回は2月の8cm CDで、初めてシングルでの全国流通をして」
フジタ 「CD-Rについては、物販でお客さんが欲しいって言ってくれるから出していたというのもあります。そうこうするうちに、プレスミーさんが8cm CDを作れるようになって。おかげで今はもうCD-Rはやめて、8cmに集中です」
黒須 「フジタさんも、僕みたいに他にも本業を持たれていますか」
フジタ 「あります。音楽だけでは食べていけないですからね」
黒須 「時間を作るの、大変じゃないですか」
フジタ 「大変ですね、すごく大変です。ちょっと気が別方向に向くと、どんどん時間が過ぎていって、リリースの空白期間ができちゃったりして。常に自分をぎりぎりまで追い込んでいくしかないですね」
──本業とやりたいことのバランスは大変ですね。Tnakaさんも最近、ファッション雑誌の Zipper のモデルに就かれています
Tnaka 「私自身、デザイン的には派手なものが昔から好きだったんですが、最近それに自分が追いついて、こういう原宿系な感じに変わって。作品と自分自身が近づいてきた、と言えばいいんでしょうか。Zipper については、モデルとしてすごく仕事があるわけではないんですけど、いま自分のやってることを分かりやすく表現できたと思ってます。私、篠原ともえさんが大好きなので、あの雰囲気の服もリスペクトしてるんですけど。彼女って高いものを買って着飾るっていうよりも、例えばゴーグルをネックレスにしたりとか、自分で見つけて自分流のファッションにする。それに自分で服も作ってるし。ファッションが派手なところはもちろん、ないものを自分で作ってやろう、みたいな姿勢が自分も似てるかなって思って、そういうところをすごくリスペクトしています」
黒須 「8cm CDへのこだわりとかを見てもそう思いますね」
──現在はTnakaさんという人物の、パブリックイメージとやっていること、やりたいことが合致している、と
Tnaka 「ようやく自分でもそう思えています」
フジタ 「やっとですよね、ぴたっと合った感じがしていて」
Tnaka 「あとは見つかるだけだ、って思ってます(笑)」
──MARQUEE≠HOUSE レーベルとしての現在は、Tnakaさんと marble≠marble が世の中に発見される場を作っていきたい、という意向が大きいですか。
フジタ 「本当にそうなんですよね。仮に話があれば、MARQUEE≠HOUSE レーベルとして marble≠marble 以外のリリースを、という可能性もありますけど。こちらからいま積極的にやりたいのは、marble≠marble を売っていくことです」
──MARQUEE≠HOUSE レーベルに対して、アーティストとしてのTnakaさんが求めたいことはありますか?
黒須 「例えばプロモーションについて考えてみると、インストアとかラジオとか雑誌とか、メディアにもうちょっと出たいとか。インディーだったら自分たちでやるところですが、レーベルへの要望として持っていてもいいと思うんですよ。どうでしょう?」
Tnaka 「プロモーションについては要望というより、一緒にやってる感覚ですね。自分でも営業的なことをやって、人脈もひとつひとつ作っていますし。こうしてよ、という一方的な希望はあんまりないですね」
──アーティストの姿勢として、セルフプロデュース気質が強い方々と、音源以外はレーベルにお任せしたいという姿勢、どちらが一般的なんでしょう。
黒須 「インディーだとケースバイケースですね、本当に。例えばアートワークひとつ取っても、自分でデザインしたい人もいますし、一方で自分はデザイン得意じゃないから、コンセプトを伝えて外部のイラストレーターさんにお願いしたいって人もいます」
──アーティストが作りたいものと、レーベルが売りたいものが合致しない、という話は耳にしますが、いかがですか。
黒須 「miobell records はそこまで色が強いレーベルでもないですし、むしろアーティストがやりたいことをどう実現するか、という姿勢です。プラットフォームというか、場を提供するのが僕の役割だと思ってるから。アーティストそれぞれが求めるものが第一で、それに対してどういう場があればいいか、レーベルとして何ができるか、を相談しながらやってる感じです」
Tnaka 「確かにメジャーレーベルとはぜんぜん違いますよね、考え方が」
黒須 「違いますね。自分が楽しめるかどうかは前提として当然あるんですけど、そもそも楽しめないなら好きなバンドのお手伝いとかしないから。そこは大丈夫。とはいえ、意見の食い違い自体は結構あります。そのときは都度相談ですね」
Tnaka 「アドバイスとかはしないんですか」
黒須 「言いますよ。とはいえ基本的にはミュージシャンに引っ張ってもらって、こちらはお手伝いをするというスタンスに徹している面がありますし、まずはアーティスト側の意向を聞くのを大切にしていています。だから定期的にミーティングの機会も作りますし、年明けくらいにはたいてい今後の話をします。例えば今年は何十周年だから、節目のイベントをやりませんかとか、今年アルバム出したいですかとか。そうすると、当然だけど予定も意向も人によってそれぞれ。それらを全部聞いた上で、どうしていくかを考えてます。あと僕の場合、稼働の問題もあるので。同じ時期に重なると僕が動けないから、スケジュールの相談もしますね」
──本日は多岐にわたるお話をありがとうございました。最後になりますが、レーベル運営や活動をこれからも続けてゆくにあたり、夢や構想をお聞かせ頂けませんか。
黒須 「夢というほどではないですが、作品が1枚くらい大きく当たってほしいな、とはある程度思いますね。でもどちらかというと、小さなレーベルは、続けられるかどうかが一番大事だと思ってます。だから、とにかく長く続けられるようにできたらいいなって。死ぬまでやっていたいです」
フジタ 「僕的にも、そんなだいそれた夢はなくて。とりあえず今は、テクノ路線をテーマに次のアルバムを作ってるところなんですけど。でも実は、さらに次のアルバムの音楽的な構想も頭の中にあります。次の次くらいまでのやりたいアイデアが常に頭の中にあって、それを一つ一つ続けたいなっていうのはありますね。あとは小さいことを言えば、Spotifyで1万再生行きたいなとか、作ったCDの在庫がまだ家にいっぱいあるので、完売するくらいまでは行きたいな」
Tnaka 「私は、ライトな人にもっと知ってもらって、サブスクとかを通じて聴いてくれたらいいなというのがあります。ライブハウスに来るとかCDを買うっていうのは、今の時代けっこうハードルが高いと思うんですよ。それに、Zipperのモデルになったので、もちろんモデル自体も目的ではあったんですけど、そういうのを通して marble≠marble の音楽活動を知ってくれたらいいなって。ライブも、そういう人たちがおしゃれして行く場所になれたらいいな、みたいな思いもあります」
──今回の短冊CDの日企画をきっかけに、また色んな人に魅力を広げていけたら嬉しいですね
フジタ 「今回は本当に面白いことができて。自分の力でこぢんまりとやっているだけでは、絶対にできないことが実現できたので。皆さんにはとても感謝してます」
Tnaka 「チャレンジしないって言ってたけど、そういう意味では今回のは新しいチャレンジだね」
──これからの両レーベルの継続と展開にも期待させていただきます。改めまして、本日はありがとうございました!
marble≠marble Profile
2022年Zipper専属モデルオーディショングランプリ獲得、令和のシノラーTnakaの音楽プロジェクト。近年は「デトロイト歌謡」を標榜し、平成リバイバルをテーマに往年のハウス/テクノとJ-POPのメロディーを大胆にオマージュ&mixした独特の作品を発表している。 90年代の音楽やデザイン、雑貨、ファッション、アニメが大好き。それにちなんで8cmCD、VHS、テレホンカードなどのグッズをリリースしている。MV制作、ジャケットデザイン、グッズデザイン、衣装原案、作詞を自分で行うマルチクリエイターでもある。
黒須誠 Profile
会社員として働く傍ら2009年4月より音楽情報サイト「ポプシクリップ。」をプロボノ形式でスタート。これまでに国内外合わせて100人以上を取材。「アーティストの気持ちに寄り添った本音に迫る丁寧な取材記事」がミュージシャンやファンの間で話題になる。2011年より音楽イベント「POPS Parade」、2013年より「ポプシクリップ。ペーパー(現・ポプシクリップ。マガジン)」開始。並行して2010年代半ばよりフリーの「音楽パブリシスト」として10組以上のバンドやミュージシャンの活動サポートも始める。2016年よりインディペンデント・レーベル「ミオベル・レコード」を同形式で主宰し、アーティストのサポート業務を更に拡大。現在は周囲の協力を得ながら働くパラレル・プロボノ・チームで、原盤制作からレコード、CDの企画製作、デジタル配信、パブリシティ、プロモーション、音楽イベントやグッズの企画製作まで、小規模ながらトータルでアーティストの音楽活動をサポート中。
2023年7月19日