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高橋徹也 The Endless Summer Interview

“スタンダードなものを提示する”という意味でも盤は大事なんです。

●それでもともとあった3曲と合わせて4曲になったと。

 

高橋 「3曲が4曲になって、どうせ録るんだったらもっとやろうかという話になって6曲入りのミニアルバムになったんです」

 

●「バタフライ・ナイト-Open End-」以外は新曲ですか?

 

高橋 「そうですね。近年作ったものばかりです。[夜明けのフリーウェイ]は12年のライヴ盤で出していますけど、スタジオ盤は初めてです」

 

●アルバムタイトルの『Endless Summer』については? 曲名では「サンディエゴ・ビーチ」のように季節を感じさせるものがたくさんあるんですけど、アルバム名では初めてですよね。

 

高橋 「そうですね、タイトルでははじめてかな。もともとシングルとしてやるつもりだったこともあって、季節を限定した短編集みたいなものをイメージしたんです。それで時期的にも夏だろうなと思って。ちなみに鹿島さんにタイトルを伝えたとき『The Endless Summer』という大ヒットしたサーフィン映画をモチーフにしたのか聞かれたんですけど、僕はその映画を見たことがなかったので(笑)、ただの偶然だよと話したら、ビックリしていましたね」

 

●ジャケット写真も夏の雰囲気が出ていてタイトルにマッチしています。

 

高橋 「写真は6月に鎌倉と葉山で撮ったんです。海の写真はね、早朝にカメラマンの浅川英郎さんが綺麗に撮ってくれたんですよ。撮影の際、久々に夜明けを見たんですけど景色が綺麗でね。白、オレンジ、赤紫と風景が刻々と変化して面白かったですね。朝の2時に東京出発して3時過ぎに現地着いて、すぐに撮影といった感じで。花火も途中で買って(笑)」

 

●アルバムを聴いたとき、高橋さんはすごくいい状態なんだろうなと思ったんです。前作の『大統領夫人と棺』のときは、世の中に対するメッセージ・鬱憤を晴らすといったものが含まれていたんですよね。

 

高橋 「あのときの自分はテンションが高かったんですよ。アルバムもすごく攻撃的で、ナイフをどこかに持っていて虎視眈々と何かを待っているような、そんな作品だったんですよ…当時のインタヴューを読み返すと少し恥ずかしいんですが(笑)」

 

●何年かぶりのスタジオアルバムだったから気合が入っていたのでは?

 

高橋 「そうですね。“久々に出すぞ!”という意識も強かったんでね(笑)」

 

●盤へのこだわりがあるんですね。

 

高橋 「僕の中で発表されていないものは全部新作なんですよ。盤を作ることがその曲にとってのゴール、終わりだと思うんですよね。ライヴでやっているあいだはずっと鍛えているだけですから(笑)。作品にならないとずっと鍛えていることになっちゃうんですけどね(笑)。あとライヴって毎回アレンジが変わるんですよ。だから“スタンダードなものを提示する”という意味でも盤は大事なんです。盤になることでようやくその曲が自分の中で過去の曲になるんですよ。そしてCDの音を基準にしてライヴアレンジの違いを楽しんでもらいたいなと」

 

●今回ペダル・スティールに以前ユメオチもやられていた宮下広輔さんを起用されていますね。以前からのお知り合いなんですか?

 

高橋 「いや、レコーディング直前に知って現場で初めてお会いしたんです。ギターや鍵盤楽器以外で何か個性的なリード楽器を一つ入れたいなと思っていたんです。ペダルスチールとヴィブラフォンが候補にあがって、宮下さんと出会ってお願いすることにしました。宮下さんの演奏、個性含めてすごく合っていたんですよ」

“決して全てにはなれない、たったそれだけのこと”というのが自分の中では大きなテーマなんですよね。

●今回の作品は、近年のコンスタントな音楽活動がまわりはじめてからの新たな幕開けの一枚になるんじゃないかと思ったんです。一般的な音楽活動がリリース、ライヴの繰り返しとするならば、大統領でそれまでたまっていたものを吐き出してからの高橋さんにとって、本作が一枚目なんですよね。それで歌詞を見ると「見失った」「喪失感」といったキーワードがほぼ全ての曲に出てきていて、誰かに向けたラヴソングだろうか?とも感じました。

 

高橋 「昨日レコーディング以来久しぶりにアルバムを聴いたんですよ。その時に気付いたことなんですけど、20年前に作った[バタフライナイト]には“僕”という一人称が繰り返し出てくるんです。でも最近作った他の歌では[The Orchestra]の最後にちょっと出てくるだけで一人称がないんですよね。この20年の間でいつのまにか自分中で何か変化していたんだなと思ったんです。で、それが何なのか考えてみたんですけど、やっぱり近年の活動の影響じゃないかって思うんです。ライヴをする中で、自分の音楽を熱心に聴きに来てくれる人の前で歌い続けていくうちに、“自分と世界”だけだったものが“自分と他人と世界”に広がったというか…日常生活では当たり前のことなんですけどね。音楽をやる上でそれまでは例えば“自分一人と景色”といった視点が多かったんですよ。それがライヴをやることで、色んな人がいることに気付かされたんです…それが曲作りに自然と反映されている気がします。“僕”や“あなた”といった具体的なラヴソングではないけれど、自分以外の人間の視点が入っているのは、僕にとって大きく変わった点だと思いますね」

 

●僕はどちらかというと二人称が気になったんですよ。特定の誰かに向かって歌っている印象が強かったんですよね。「夜明けのフリーウェイ」では助手席に誰が座っているのか…想像しますしね。

 

高橋 「でもポップ・ソングを作ることは誰かに対して何かを伝えることですからね」

 

●なるほど、そりゃそうですよね。でも今のお話だと一人称中心だった高橋さんが二人称を意識するようになったのはソングライティングにおいて大きな変化だと思いました。話は変わるのですが、アルバムには朗読の「いつも同じところで」も収録されています。大統領のときもありましたけど、一般的に朗読って珍しいですよ。

 

高橋 「ソロの弾き語りライヴのときに、その朗読の歌をやっているんです。ライヴでは朗読のあとに、曲の本編を演奏しているんですが、アルバムではその前半部分だけを収録しました。実はこれもレコーディングの時にたまたま空いた時間があってそこで録音したんですけどね。その場でメンバーに説明してやりました。以前だといきなり朗読などをするライヴってよっぽどアンダーグラウンドだったり、アバンギャルドなバンドだけだったと思うんですけど(笑)、最近朗読自体がコンサートの中に自然と溶け込むようになったと感じているんですよ。実はこの朗読があったからこそアルバムとして成り立ったんじゃないかと思っているくらいで。各楽曲のつながりにおいてもこの朗読がフックになっていると思うんです」

 

●確かに曲順でも真ん中にされていますね・・・。この朗読で気になった一文があるんです。〈考えてみれば人の一生とはたった一つの同じテーマを少しずつ違うかたちで再現しているだけなのかもしれない〉。こちらはもしかして高橋さん自身のことをなぞらえて言われているのかなと思ったのですが?

 

高橋 「確かにそうですね。全部が同じことの繰り返しというか…。これを言ったら元も子もないんですけれど、突き詰めていくとそこに書いたことだと思うんです。1曲目の[The Orchestra]のサビの一節、〈僕らはみなそうさ〉にある生きとし生けるものというのはみんな価値があって人生を彩っているオーケストラのようなものなんだという、すごくポジティヴなメッセージなんだけれど、“決して全てにはなれない、たったそれだけのこと”というのが自分の中では大きなテーマなんですよね。これは前のインタヴューでも話したかもしれないんですけど、[星の終わりに]という曲が特別な歌で、それに近い感じなんです。“一人一人等しく価値はあるんだけど、全体を成したときは全てにはなれない”という」

 

●「全てにはなれない」というのは、あれもこれも欲張ることができないということでしょうか?

 

高橋 「いや、もっと厳しいものだと思います。一人一人が価値のあるものなんだけれど、長い歴史の中ではほぼ無価値であることだと思っていて、自分はそれを体現しているんだと思っているんですよ。ポップスにおいて、ポジティヴなうわべの歌を歌っている人には、そういうこともちゃんと言ってほしいと思いますけどね」

 

●甘いことだけじゃないんだよと。

 

高橋 「そうですね、大体の人が何も成せずに死んで行くわけですから・・・。ただその無価値なものが続いていって、壮大な素晴らしいことになっているって感じですね。それで自分たちもその一部であるってことを体現しているってことです。朗読で行っているそのたった一つの、というのも同じことだと思っているんです」

 

●高橋さんは詞の中でポジティヴな一面を描く際も、先の一文のようなどこか突き放したようなものを含んでいるのが“らしさ”につながっているんでしょうね。どこか客観視、達観したような面と自分が混在しているというか。

 

高橋 「俯瞰で見ているところと“俺”視点が共存しているとは思います。多分これが僕なりのソングライティングのスタイルなんですよ」

 

●俯瞰視点と一人称の行き来ですか?

 

高橋 「そう、以前だったら“俺が俺が”だけとか、その対極である白々しいもののどちらかになっていたと思うんですけど、そのバランスが最近とれてきたんじゃないかと」

 

●歌詞については今回もフィクションなんですか?

 

高橋 「完全にフィクションなんですけど、完全に自分自身でもあるんですよね。さっきも話した二つの視点も持ち合わせているけど、生身の人間でもあるわけだからフィクションといっても様々な自分が入ってくるんですよ。よく歌詞に意味がない、ヴォーカルには重きを置いていないというスタンスのアーティストっているじゃないですか? 歌は楽器の一つだっていう。でも歌詞に意味なんてない、と言っている時点でその人の主張はものすごく強いわけだから…それを言うことがものすごい意味を押しつけているように思えるんですよね。そういう方とも違うとは思うんですけど」

 

●特に伝えたい一節はありますか?

 

高橋 「数年前に自分で気付いたんですけど、僕が歌詞の中で一番重きを置いているのはたいてい2番のAメロなんです。 [夜明けのフリーウェイ]なんかもそうですね」

        

 

 

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