プロデューサーpaveu

造語としてのトリイマエマチ

 

作詞においては、しばしば造語が用いられる。造語を使うことは、詞の情報量をコントロールしやすくする。固有名詞よりも柔らかく、一般的な言葉よりも印象的に。耳慣れない言葉は聞く人の注意を惹きつける。

 

曲のタイトルに使われている不思議な言葉「トリイマエマチ」。これは歴とした日本語。カタカナで書いて、さらに英単語と並べたりするとナニコレ?って感じになる。漢字で書くと意味がわかりやすい。鳥居前町。神社の鳥居の前に出来た町。神社を中心に成り立っている都市。お城だと城下町、寺だと門前町、神社だと鳥居前町。

 

実は、鳥居前町という言葉を僕は知らなかった。僕のよく行く町には立派な神社があって、ある時ふと、門前町の神社版を表す言葉があったら面白いなと思いついた。寺が門なら神社なら鳥居だなと考えた。それで自分自身で考えだした造語として歌詞に使おう、我ながらヒネリの効いた言葉だ、なんて悦に入っていた。そうしたら既存の言葉だとわかって大変ガッカリしたし、恥ずかしくもあった。

 

そんな僕の一喜一憂はさておき、それが魅力あふれる素敵な言葉であることに疑いはなかったので、結局タイトルの一部におさまることになった。

不完全情報ゲーム

 

麻雀やポーカーのように、プレイヤの得られるゲーム内の情報が、部分的で不完全なゲームのことを、不完全情報ゲームと呼ぶ。他プレイヤの手の内は見えず、牌山や山札のどこに何が入っているかは分からない。多分に制限された情報を元に、状況の推測や分析を行う能力が重要だ。

 

さて、今回の楽曲制作を振りかえってみると、僕がプロデューサとして常盤さんに伝えたことはほとんど無い。曲と歌詞以外に僕が示せたものは、写真や画像を貼り付けた11枚のスライドだけだ。 言語情報の不完全さや言語コミュニケーションのデタッチメントが、音楽的コミットメントにどう作用するのかという、ある種の実験と見ても良いのかもしれない。小栗さんと示し合わせたわけでは全くなかったけれど、偶然か必然か、僕たち2人は今回、同じようなスタイルを取ることになったみたいだ。

 

ボーカルレコーディングの日、この曲を歌う常盤さんの歌声を初めて聴きながら、僕は感心したというか呆気にとられたというか、終始そういった状態だった。その日は、常盤さんに伝えたい微妙なニュアンス表現がいくつもあったのだけど、何も伝えないうちから完っ璧に対応されてしまい、常盤さんのプロフェッショナリズムに全く参ってしまった。 そして同じ日、同じ場所で、小栗さんも自身のプロデュース曲で同じような体験をしたということが分かって、秘かに連帯感を強めあったりもしたのだった。

 

麻雀やポーカーで常盤さんと勝負をするのはやめておいたほうが良いかもしれない。歌と同じように不完全情報の分析能力が発揮されるのなら、勝ち目は無い。