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石田ショーキチ デビュー20周年記念インタヴュー

エンジニアやプロデューサーとしても活動しているトッド・ラングレンが僕のキャリアに大きな影響を与えています。

──MOTORWORKSなどのバンドで活躍しつつ、シンガー・ソングライターとしてのソロ活動、Cocco、スピッツ、スムルース、町田のご当地アイドルミラクルマーチなどのプロデュース・ワーク、ROUND TABLEの作品へギタリストとしての参加、エンジニア、専門学校での講師など、多数の役回りの仕事をこなす今のスタイルは昔から考えていたものなのですか?

 

石田 「プロデューサーやエンジニアとして平行しながら自分の曲を発表して歌うというスタイルは昔から考えていましたし、そうなるように自分のキャリアにもレールを敷いてきました。スパイラル・ライフの頃からそういう志向でした。同じように、エンジニアやプロデューサーとしても活動しているトッド・ラングレンが僕のキャリアに大きな影響を与えています。デビューする前から、彼が目標だったと言ってもいいくらいです。また、18、19歳の頃には、Stock Aitken Waterman というイギリスのプロデューサーチームに衝撃を受けまして、彼らの存在は SCUDELIA ELECTRO のチーム構成にも、まんま影響を受けました」

 

──95年結成のスクーデリア・エレクトロが確か元々プロデュース・チームとして発足したメンバーによるバンドだと聞いています。以降特にプロデュースワークに力を入れられてきましたが、当時石田さんが理想としていたプロデュースワークとはどのようなものだったのでしょうか? また自分のやりたいプロデュースワークができるようになったのはいつ頃でしたか?

 

石田 「僕自身は、こうすればもっと売れる、とか、ブレイクする、とか、そういう志向でプロデュースをしていません。そうではなくて、依頼されたときに、依頼に沿って音源を仕上げると。プロデュースというのは、作品を作ることが仕事ですから。心がけているのは、特にまだまだ発展途上な若手の場合は、きちんと音源として一定の水準まで持っていくこと。基本的にはそれだけを意識しています。特に若いバンドは、音楽理論の知識が乏しかったり、技術が足りないことが多いですし、そこをきちんと教え込んで送り出すことも大事だと考えています。ときどき「石田塾」なんて呼ばれるんですけど、バンドにそういうことを教え込むのは、やりたいからやっているわけではなく、きちんとした音楽を作るのに必要なことだからやっていますね」

 

──プロとしてこの道でやっていこうと思われたのはいつ頃でしょうか?また自分がプロだと強く意識されたのは?

 

石田 「元々ミュージシャンになりたくて静岡から上京してきたのですが、プロになる前、アマチュアで音楽やりながら、ヤクザ崩れな人たちが働いてる土建会社にいたことがあるんです。求職のビラを見つけて飛び込んだら、そういう会社だったという……しかし、忙しく仕事しながら結局音楽もろくにできず、何のために東京に来たんだ? と自問自答することになり、抜ける決意をしました。抜けるときは本当に怖かったですが、意を決して「音楽をやりたいので辞めさせてください」と社長に伝えました。子どもの頃から、音楽を世に出していきたいとは思っていましたが、この時は、相応の決意がありましたね。実際、色々話がこじれそうになって怖かったですし(笑)」

 

──これまで音楽を続けていくことを迷われたときはありますか?

 

石田 「正直、デビューしてからは馬車馬のように働かされていたので、迷う暇もなかったというか。それに、止めたら食っていけなくなりますから(笑)。20年間、音楽で食っていけてるだけでも、ありがたいことだと思います」

 

──少し話は変わりますが、現在の音楽業界はCDが売れないといった経済的にネガティヴな話をたくさん耳にします。現場の肌感覚として今の状況をどのように捉えていますか?

 

石田 「それって本当にネガティブなの? ということですね。時代にあわせて僕たち音楽家は音楽を作るしかないわけです。実際、昔に比べて何分の1っていうコストでレコーディングできるようになっていますから。むしろ、CD1枚を作るのに、PV1本録るのに何千万円っていうお金をレコード会社がかけていたことが、正常ではなかったのではと僕は思います」

 

──そんな中、何故石田さんは20年間音楽を続けることができたのでしょうか?

 

石田 「悪運が強かったんだと思います(笑)。ただ、心がけていたこととしては、最新のテクノロジーに関しては、常に勉強してきました。だからレコーディングのデジタル化にも対応できたし、ありがたいことに、お仕事を継続して、頂くことができた、と。デジタルレコーディングが出てきたときから、この世界に生き残るためには、絶対習得しないといけないと思っていたんです。後は、ひたすら勉強の日々ですね」

        

 

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