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今年でデビュー10周年を迎えたwaffles。その豊かなポップ・センスはもちろん、大野恭子の詞が松本隆から絶賛を受けるなど、結成からすぐに高い評価を得た彼女達だったが、その後のキャリアは決して平坦なものではなかった。しかし、結果としてwafflesは現在でも結成時と変わらないメンバーで活動していて、そのクリエイティヴィティを絶やす事なく今も前進し続けている。特に節目を迎えた今年は、新作『10歩』に始まり、長らく手に入りづらい状況が続いていた初期の人気曲を再録した『Re:cipe』もリリースと、とにかく精力的なのだ。11月18日には、この10年の集大成とも言うべきロング・セットのワンマン・ライヴが開催されるということで、今回はドラマーの木村孝も含めたオリジナル・メンバーの4人をお招きし、大いにこの10年を語って頂いた。

 

 

取材・文 渡辺裕也/編集部

写真/木目田隆行

まずは自分達だけで創作活動を楽しむところから始まった。(武田)

waffles(大野恭子、与那覇文子、武田真一、木村孝(準メンバー))

──今日はデビューから10年という節目に合わせて、wafflesのキャリアをみなさんと一気に振り返っていけたらと思っています。まず、この4人はどういう繋がりからバンド結成に至ったんですか。


大野恭子(Vo) そもそもこのバンドを始める前から、私達はみんなで箱根の温泉に行ったりしてたような仲で(笑)。私とジョナがオリジナルの曲をやりたいと思ってみんなを誘ったのがバンドの始まりだったんだけど、最初はサークル活動に毛が生えた程度のものでした。時間だけはたくさんあったので、週4で4~5時間のリハーサルをただのんびりとやっていました。それこそたくさんコピーもたくさんやったよね。編成も変えてみたりしながら。

 

武田真一(B) もともと僕はギターを弾くことが多かったんですよ。

 

大野 そうそう。ジョナ(与那覇文子)がキーボードだったときもあった。でも、オリジナルをやろうという流れになってきたら、ジョナがギターをやりたいと言い出して(笑)。それで武田さんがベースにシフトして(笑)。そんな感じで始まりはゆるゆるとしていました。

 

武田 ライヴもそこまでバリバリやる感じではなかったよね。

 

木村孝(Dr) サークル内のイヴェントが多かった。

 

武田 そうそう。まずは自分達だけで創作活動を楽しむところから始まった感じでした。

 

大野 最初の頃は創作活動なんて呼べるようなレベルでもなかったよね(笑)。私が留学先のニューヨークから帰ってきてから、だんだんと活動が真剣なものになっていきました。独りで外国に行ったことで、生き方とか心とか他人との関わりとか、大きなテーマを格闘するようになり(笑)、向こうでも1人で歌ったりしているうちに、曲づくりも真剣なものになってきて。それから、バンドをやりたいっていう気持ちがどんどん膨れ上がっていきました。

N.Y.に留学していたときに音楽が自分にとって思ってた以上に大きなものであることに気づいた。(大野)

左から武田真一、大野恭子、与那覇文子、木村 孝
左から武田真一、大野恭子、与那覇文子、木村 孝

──ニューヨークに行ってたんですね。


大野 1年くらいの語学留学だったんですけど、午前中だけ英語を勉強して、あとは色んなジャンルのライヴや美術館、舞台なんかを毎日観に行っていました。だから、今思えばけっこうな音楽留学でもあったんですよね(笑)。プロに歌を習ったり、音楽フェスのスタッフをやってみたり、路上で歌ったり、飛び入りでライヴハウスに出させてもらったりもしました。そのうちに、私の歌を応援してくれる人に出会ったりもして、そこで歌に対する意識の改革があったんです。なんというか、歌の「心」の部分を掴んだというか(笑)。もともとミュージシャンになりたいと考えたことはあまりなかったんだけど、向こうにいる間は自分のアイデンティティが音楽だったんですよね。音楽が自分にとっての一番太い柱だった。私にとって「音楽」は思っていた以上に大きなものなんだな、と気づいたんです。

──日本に帰国した大野さんを迎えたみなさんは、大野さんにどんな変化を感じたんでしょう。


武田 まず、曲が明らかに変わったよね。


木村 その前までは英語詞の曲もけっこうあったんだけど、アメリカから帰ってきたら逆に日本語詞で固まってたんだよね(笑)。

 

武田 曲の持つ説得力がグッと増していたから、これはしっかりと形にしないといけないなと僕らも思うようになって。サークルの延長に過ぎなかったそれまでとは意識が変わりました。曲に僕らが感化された部分は大いにあると思います。

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