ピアニストの岡城千歳が15年ぶりとなるアルバム『坂本龍一ピアノワークス3、トリビュートアルバム In Appreciation & Admiration』を昨年11月にリリースした。取り立てて目立ったプロモーションはなかったようだが、坂本龍一のファンやクラシックファンを中心にじわじわと売れており、一部先行販売されていたAmazonでは「室内楽・器楽曲の新着ランキング」では昨年の11月17日時点で1位にもなるなど、 コンスタントに売れているそうだ。

 

本作を聴いて驚いたのは先日書いた通りではあるが、作品以上に岡城さんに話を伺うにつれて、この作品に対する彼女の情熱、いや情熱というよりも作品への想いの強さをひしひしと感じることとなった。それは坂本龍一さんへのリスペクトはもちろん、ひとつひとつの音を大事にしたいという作家性、ご本人のアーティスト性もしかり。

 

偶然にも今年3月にはYMO誕生40周年を記念し、高野寛率いるYMOの影響を受けたミュージシャンによるバンド”Yellow Magic Children(YMC)のイベントもあるし、昨年には坂本龍一に密着した映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」がNHKで放映されたり、『BTTB』も再発されるなど何かと話題になっているが、彼女の作品も合わせてこの機会に一度聴いてもらえたらと思う。

 

15年ぶりとなる彼女の再出発を理解する上で本インタヴューが参考になれば幸いだ。

 

企画・構成 黒須誠/編集部

Music Trailer/Sample Listening


活動休止中にいつも聴いていて、私を支えて勇気をくれた曲が「ブリッジ」だったから、これでどうしても復帰したかった

●アルバムリリースおめでとうございます。まずは今のお気持ちをお聞かせください。

 

岡城千歳(Piano) 「ありがとうございます。リリースするにあたって、まるで赤ん坊を世の中に送り出すような気持ちになりました。通算13枚目のCDですが、こういう気持ちになったのは初めてです。勿論13枚それぞれのCDは非常に大切で1枚1枚に込めた思いがありますが、この新譜には個人的な愛着が特別にあって、自分にとって愛おしいあまり、世の中に出したくないと思ったほどでした。なんというか、作曲家や画家がただ自分のためだけに創って、そっと手元に置いておく、そんな気持ちがわかったような気がしました」

 

●ソロ名義としては15年ぶりのリリースとなりますよね。きっかけは何だったのでしょうか?

 

岡城 「このアルバムに収録している〈ブリッジ〉のリリースの話は、ブリッジ初演のコンサートの2004年直後からずっと長い間ありました。ぜひコンサートをライヴ録音としてリリースしてほしいと、要望がありましたので。以前所属していたレコード会社からのリリースなども検討されていたのですが、結局いろいろな事情から実現せず、私が活動休止に入ってしまい年月が経ってしまいました」

 

●15年と随分間が空いてしまいましたね。

 

岡城 「実は2016年のはじめには復帰の決心をして、リリース準備に入っていました。事実、『坂本龍一ピアノワークス3』の次の新譜である、スクリャービンのプロメテウスの多重録音のうち、一部の録音はすでに2017年1月に終了しています。2017年秋には『坂本龍一ピアノワークス3』もリリースする予定だったのですが、作業やプロダクションが遅れに遅れて結局1年も遅くなり、リリースも遅れました。なので実質10年とちょっとというのが自分にとっての実感です。その間いろいろと自分で音楽や音楽業界に対する悩みを抱えていたことも事実ですので、長かったようで短かった、短かったようで長かった、です」

 

●この作品を再始動の1枚目に選ばれた理由は何だったのですか?

 

岡城 「活動休止中にいつも聴いていて、私を支えて勇気をくれた曲が〈ブリッジ〉だったから、これでどうしても復帰したかったんです。黒須さんもおっしゃっていたように、“クラシックとポップスの間に見えない壁がある”・・・私もやっぱりそう感じています。クロスオーバーの曲は、あまりしっくりこないという方もいらっしゃると思うんです。クラシックのお堅い頭の人なんかは、“クロスオーバーには興味がない”、またはもっと強い意見で“認めない”という人も多分にいらっしゃるのではと思います。でも私は正反対で、むしろここにこそ、音楽の原点があるのではないかとさえ思っています。私のメンターだったピアニストに、ミッシェル・ブロックという方がいます。もう亡くなってしまったのですが、この人の演奏はそれはそれは個性的なもので素晴らしく、私の憧れでもあります。このミッシェルが自分で編曲して演奏したもののなかに、シャンソンのバーバラの〈Ma plus belle histoire d'amour〉があります。YouTubeで聴けますので、ぜひ聴いてみてください。

私にとっては、もう涙なしには1回も聴けたことがない曲なんです。彼の編曲と演奏なのですが、これこそが音楽の、そして演奏の原点ではないかと。人に語りかけることができる、なにかを問いかけることができる、心の琴線に触れることができる、それこそが音楽ではないかと。『坂本龍一ピアノワークス3』で復帰というのは、〈ブリッジ〉という曲のレパートリーの観点からも、またクロスオーバーという音楽の観点からも、その両方で自分にとってはとても大切だったんです」

●CD収録のライナーノーツにも、この15年間「ブリッジ」に何度も励まされたと書かれていましたよね。この曲はは30分にも及ぶ大曲ですが、何故この曲が岡城さんにそれほどまでに響いたのでしょうか?

 

岡城 「実は活動休止中にクラシック音楽を全く聴けない、受け付けない時期がありました。音楽の存在意義に疑問を感じて、故意に避け悩んでいた時期もあり、シリアスなクラシック音楽は“苦悩の押し付け”として身体が受け付けない、拒絶反応が出てしまう時期が長く続きました。クラシックのなかでも、私はチャイコフスキーの〈悲愴〉やマーラーなど暗い音楽が好きだし、存在を問いかけるような曲を取り上げて、掘り下げていくことこそが自分の強みだったし、得意とさえしていました。でも、本当につらい時には“自分はクラシック音楽を受け入れられない”、という事実が、自分自身にとっても衝撃的なことでした、自分がそれまで信じてきたものが聴けなくなったわけですから・・・。その時感じたことは、「音楽は何も救えない、自分さえも救えないのだから」ということでした」

 

●そんな中でも聴かれていたのが?

 

岡城 「そう、坂本氏の〈ブリッジ〉でした。なんというか、ピアノで非常に美しく響くように繊細に書かれていて、悲哀がありセンチメンタルでありながら、淡い希望もある・・・そしてその独特の哀愁が30分間聴き手を飽きさせることなく続く。その美しさは、理論に裏打ちされた美しさであるからこそ、30分間もの間、人を惹きつけることができるし、曲に涙するように書かれていながら、“お涙頂戴”のようなクリシェには聴こえない。自分が避けたいと当時思っていたクラシックのピアノ曲ではないけれど、ポップスでありながら、クラシックの美しさも併せ持つ。重いけれど、重くない。押しつけることはしないけど、漂っているだけで心が奪われる。そういうところに惹かれて救われたんです。その後、坂本さんが病を克服してからおっしゃっていた言葉がことさら胸に突き刺さりました。“人間が本当に困ったときは音楽は全く無力”、“9.11テロに自分は音楽のことすら考えなかった”、“音楽は所詮贅沢でしかない”と。自分が感じていたことと全く同じことを坂本氏も感じておられ、それでも”死ぬまでにもっとましなものを残したい”という思いから活動再開された、と読みました。音楽は何も救えない、それでも〈ブリッジ〉が私の困難な時を支えてくれたように、ほんの少しでも人の心に響く音を紡ぎ、人とつながることができれば、そんな夢の音を死ぬまでにかなえることができれば感無量、と思っています」

 

●「ブリッジ」以外にもこの15年間岡城さんを励ました曲などはありますか?

 

岡城 「クラシックを聴けるようになってからは、クラシックでは主に、現代の演奏家ではなく、昔の演奏家のものを聴いていました。一昔前の人の個性のある演奏が好きなんです。クラシックが聴けなかったときは、いろいろ聴いていました。ジャズ、モンク、とかマイケル・ジャクソンとかも」

 

●この15年、表立った活動はされていなかったようですが、編曲活動などはされていたんですよね?

 

岡城 「クラシックの楽譜出版社Boosey & Hawkesで、アメリカの作曲家とピアノ編曲の仕事を主にしていました。手掛けた編曲作品は、主なものだけあげると、以下のものですべて出版されています。エリオット・カーターとヒナステラ以外は、すべて現在生存中の作曲家です。ですから、作曲家と直にお話できていろいろ勉強することができました。特にジョン・アダムズ氏とは頻繁にお仕事をご一緒し、彼から音楽について多くのことを学びました」

*ジョン・アダムズ オペラ「Dr.Atomic」、オペラ「Flowering Tree」、オペラ「Girls of the Golden West 」、「The Gospel According to the Other Mary」、サックスコンチェルト、ヴァイオリンコンチェルト「シェヘラザーデ2.0」

*マイケル・ドアティ 「Trail of Tears」

*クリストファー・ラウス 「Heimdall's トランペットコンチェルト」

*ヒナステラ 「ピアノコンチェルト2番」、オペラ「Beatrix Cenci」

*デイビッド・T・リトル オペラ「JFK」、「Soldier Songs」、オペラ「Vinkensport」

*スティーブン・マッキー 「Beautiful Passing」、「Animal, Vegetable, Mineral」

*オズワルド・ゴリホフ 「3つの歌」

*エリオット・カーター 「On Conversing with Paradise」

*ジョン・アダムズ 「合唱とピアノのためのトランスクリプション編曲集全4巻」まもなく発売予定

●その裏方としての編曲活動で、今回のアルバム制作に活きたことなどはありますか?

 

岡城 「編曲家としての活動は、音楽家としてピアニストとしてさらなる成長をもたらしてくれたと思います。編曲家としてアメリカの多くの作曲家から、作曲とはなにかについて大切なことをたくさん学びましたし、その経験がなければ今回の〈坂本龍一へのオマージュ〉という新曲の作曲はできなかったと思います。編曲というのはただ単に赴きを変える、ということではありません。その楽曲の真意をとらえてそれをより効果的に別の楽器で表現できるようにする、いわば、演奏家が楽譜から読み取らなければいけない音楽的なことを、今度は作曲家の立場から逆に、音楽的なことを表現するためにはどうしたらいいか、どのように楽譜に記していくのか、という過程を作曲家から学ぶことができました。これは大変貴重な経験でした。楽譜というものは完璧ではありませんから、そこから色々なことを読み取ることが演奏のキーとなるわけです。それを作曲家はどのように考えて楽譜にしていくのか、その具体的な段階や手順を目の当たりにして勉強することができました」

気がついたらピアニストを目指していたという感じです

●ピアニストになられたきっかけは何だったのですか?

 

岡城 「ピアノは4歳半から習っていました。そして、いつの間にか桐朋学園の高校と大学に入学し、気がついたらピアニストを目指していたという感じです。アメリカのジュリアード音楽院留学後は、アメリカのオーディションやコンクールに受かって、カーネギー小ホールでデビューし、その後演奏活動も増えていき、そのままニューヨークに留まりました」

 

●これまでどのような活動をされてきたのでしょうか?

 

岡城 「13枚のCDのレコーディングのほかは、リサイタル、コンサート、室内楽のコンサート(バイオリンとピアノ、ピアノトリオ、ピアノカルテット、ピアノクインテット)、コンチェルトのオーケストラとの共演などいろいろです。日本各地のツアーや、ニューヨーク、ロサンジェルス、サンフランシスコ、シカゴなどアメリカ各地をはじめ、カナダのモントリーオール、ケベック、アルゼンチン、ヨーロッパでも演奏してきました」

 

●岡城さんはピアニストですが、編曲家、プロデューサーでもあります。過去リリースされたタイトルを見ると、一般的なクラシックピアニストがまずやらない面白いことをたくさんやられています。恐らくその軸は「再構築と新たな提案」「クラシックの枠に留まらないところ」の2つでしょうか。クラシックど真ん中、オーケストラ編成のチャイコフスキーの「悲愴」をピアノだけで再構築されていますし、一般的には馴染みの薄いグスタフ・マーラーの曲も編曲されています。そうかと思いきやビートルズ作品、今回の坂本さんのピアノワークスシリーズなど、ジャンルを超えた独特の創作活動にトライされている点を興味深く感じました。

 

岡城 「最初と2枚目のCDは、クラシックのスタンダードなレパートリーでした。シューマン、ショパン、亜麻色の髪の乙女、など、皆さんがクラシックと言えば思い浮かぶ、ピアノの名曲の類です。それが、3枚目にスクリャービンの練習曲全集という、ちょっとマイナーなものを手掛けたあたりから、マニアックなレパートリーを手掛けることの面白さに気づき、ワーグナーの超絶技巧ピアノ編曲集あたりから、編曲物を積極的に手がけるようになりました。特に、オーケストラをピアノ曲に編曲した編曲物です。チャイコフスキーの〈悲愴〉とかマーラーの編曲ものは、オーケストラ曲としては「クラシックのど真ん中」のレパートリーでありながら、実はピアノ曲としては大変マニアックなレパートリーです。というのも、編曲物、というのはクラシックでは少し前まで全く「認められていない」分野だったからです。「原典版主義」というのがあって、作曲家が創ったものが最高のものであって、それになんらかの手を加えたものや変更したものは意味がない、つまりわざわざ別の楽器に編曲するのは全く意味がない、という考え方です。実際、日本の音楽学校では編曲物は弾かないように、と習ってきました。だから、オケのピアノ用の編曲物をリリースするということは、いわば、ちょっとした挑戦、挑発的行為だったわけです。今でこそやっと、クラシック界も編曲物は市民権を得つつあるようですが、少し前まではそうでした。それで編曲物を通して、今まで誰も出したことのないようなピアノの音色や表現を自分が初めてやる、ということにものすごく楽しさと意義を覚えるようになりました。ピアノ用に書かれた楽譜ではないので、編曲物には特有の弾きにくさと、表現のしにくさ、がある。普通にピアノを弾くように弾いても全くサマにならないんです。それをいかに克服して、自分の音楽を創っていくか、一種の音楽への、そして自分への挑戦ですね。そこから編曲物=クロスオーバーで、まだ誰もやったことのないピアノの面白さも追及するようになりました」

 

●なるほど・・・その中で坂本さんのピアノワークスシリーズを行うことになったのは?

 

岡城 「坂本さんのファンでしたので、いつか坂本さんの曲のレコーディングをやりたいなと思っていました。そこで『BTTB』(※)が大ヒットしたんです。ピアノのために書かれた大変美しい楽曲が並んでいました。これはポップスだけではなく、クラシックの弾き方でもその魅力を伝えることができる曲だ、と思いましたので、絶対やりたいと思いました」

 

※『BTTB』は1998年に坂本龍一がリリースしたピアノ・アルバム。ちなみにアルバムタイトルはback to the basicの略である。2018年に『BTTB -20th Anniversary Edition』としてリマスタリングされて再発された。

坂本作品の魅力・・・強いてひとつだけ上げるなら、ずばり、和声ですね

●初めて坂本さんの作品を編曲したときのことを覚えていますか?

 

岡城 「『坂本龍一ピアノワークス1』のときは、ピアノのために書かれた曲ばかりでしたし、坂本さん監修の楽譜も出版されていますので、編曲する必要はなかったのですが、2作目の映画音楽集のときに、初めて坂本さんの作品の編曲を手がけました。どの作品も大好きなのですが、特に〈FLOWER IS NOT A FLOWER〉 が大好きで、泣きそうなくらい好きです。原曲はピアノトリオですが、ピアノに編曲すると、ピアノ特有の響きで、とくに和声がはっきり認識できる。そうすると、ピアノトリオではすごくマイルドに響いていたところが、ピアノソロでは音のぶつかりというか、不協和音で音がぶつかるところがはっきりと聴き取れて、それはそれは素敵な和声がものすごく明確に響くんです。ああこうなっていたのか、って曲がすごくよくわかる。それが初めてピアノで弾いてわかったときは、もうくらくらしました」

 

●坂本さんに編曲を提案したときの反応はいかがでした?

 

岡城 「坂本さんはものすごくオープンでいてくださるんです。自由にやっていいよ、みたいな」

 

●1作目は坂本龍一さんの初のピアノアルバム『BTTB』から「エナジーフロウ」「東風」などの有名タイトルを、2作目は「戦場のメリークリスマス」などの映画音楽を中心に、そして今回はパリコレで使われた「ブリッジ」がメインではありますが、それ以外の曲はTVCFの作品が大半を占めたアルバムとなりました。このピアノワークスシリーズの選曲にあたっては、どのようなことを意識されてきたのでしょうか?

 

岡城 「1作目は原曲がピアノ曲のもの、2作目は原曲がピアノ曲のものと私の編曲も含めて、3作目はおっしゃるとおり〈ブリッジ〉がメインに、となっています。どれも、ピアノがいかに美しく響くように選んでいくか、が選曲のポイントです。坂本さんの曲はどれもピアノで弾くととても美しく響くように、大変ピアニスティックに書かれています。これは彼の曲のアイディアが、ピアノという楽器からきていることがあげられます。作曲家にもいろいろタイプがあると思うのですが、まず、ピアノを弾くことでアイディアを得る作曲家と、ピアノという媒体なしに直接書きあげていく作曲家。前者には大体、ピアノの名手やピアニストが作曲をなさっていることが多く、ショパンや坂本さんもそうで、このタイプの作曲家にはいわゆる、ピアノを弾く「手」から生み出された、とでもいうような音型や和声やパッセージがあります。兄も作曲家ですが、兄もこのタイプです。ピアノを弾いているうちに生まれてくるんですね、だからパッセージがピアノを弾く上でとても効率よく書かれていて、非常にピア二スティックに美しい。この美しさをいろいろな方向から焦点をあてて描き出す、ということを意識しています」

 

●坂本さんの作品の魅力はどこにあると思いますか?

 

岡城 「いろいろありますが、強いてひとつだけ上げるなら、ずばり、和声ですね。和声とついクラシックだから言ってしまうのですが、ポップスでいうところのコード、ですね。あれほどの和声進行とポップスを融合できるのは彼しかいないと思います。坂本さんの〈戦メリ(戦場のメリークリスマス)〉の演奏を、お若い時から順次聴いていくとわかると思いますが、演奏のテンポがどんどん遅くなっていっています。これは音の「響き」をどのように耳が捉えようとしているかということと直結していると思います。例えば私自身が作曲なり編曲なり演奏なりしてピアノに向かっている時、自分が本当に”うわ~”と感激する和声や響きに出会った時、恍惚感でもう、そのままその響き空間に浸っていたい、という気持ちになるときがあります。そうすると、その瞬間、その響きと空間に耽溺してルバート(注:盗まれたの意)がかかって、時間が延びるんです、そこだけ。そういうときはピアノの中に頭をつっこんで浸っていたいというような気持ち。そういう気持ちが大きくなっていくと、必然テンポも遅くなっていく。それは、ピアノで言えば、ピアノの打鍵の最初のアタック音である衝撃音ではなく、弦が打鍵された後の余韻を大切に思う気持ち。ひとつひとつの音に対しての響きと余韻を余さず聴いて伝えたい、という気持ち。西洋音楽で言えば、印象派以後に強くなっていった傾向です。伝統的な西洋音楽が音と音とのつながりと関係性という点でなりたっているのに対し、一部の現代音楽や日本の伝統音楽などは、一音一音ごとに成立している。外国の教会の鐘の音はとにかく、キンコンカンコンとうるさく「間」があることは考えられない、でも日本の鐘の音は、「ご~ん」と一音打った後に必ず余韻がある。この説明は簡単に端折りすぎではありますし、坂本さんが日本的になっているという意味では全くもってないし、誤解を生むかもしれませんが、“音の響きを耳と脳がいかにして捉えているか”という点にのみ徹して説明を試みようとすれば、共通点が見られると思います。アルバム『async』は、鋭い感性で和声感を生涯大切になさってこられた坂本さんが至った素晴らしい境地であり、ある意味必然的な境地かもしれない、というように捉えています。最近の映画『CODA』の〈戦メリ〉では、一音一音をいつくしむように噛みしめるようにゆっくり弾いておられ、一音がとても深くて、思わず泣けてきます。こういう音を目指したいなと思っています」

 

●このシリーズは今後も続くのでしょうか?

 

岡城 「はい、4作目、5作目と続けたいと思っています」

マスタリングにはこだわりました。オーディオ的によい音質という点だけではなく、ピアノの細部の音色や細かい表情がどれだけそのアルバムに盛り込めるかを大事にしたんです

●本作品は全9曲入りのアルバムで、うち8曲は2004年に長野で披露されたコンサートのライヴ録音です。再始動にあたり何故ライヴ録音作品をリリースすることにされたのでしょうか?

 

岡城 「この長野県民文化会館ホクトホールでのコンサートは、〈ブリッジ〉初演でした。光栄なことだったし緊張もしていました。ライヴ特有の高揚感や緊張感がよく感じ取れる演奏になっていて、今レコーディングしたら恐らく違う解釈で違う演奏をするかもしれないですね。このライヴでのレコーディングは、いわばこの時1回しかできなかった解釈の演奏で昔の自分を表現している、対してオマージュのほうは最近のレコーディングで今の自分。〈ブリッジ〉は自分にとっては「涙」だから、それで、その2つの対照的な涙を並べて、作詞家が作詞で自分を表現するように、音楽的な要素で自分を語ってみたんです」

 

●このライヴ音源を作品化するにあたり、追加で録音や編集はされているのでしょうか?

 

岡城 「追加レコーディングは行っていませんので、音源はライヴコンサートだけです。ライヴコンサートですからテイクはひとつだけですので、編集作業はないです。しかし、マスタリングには非常にこだわりました。これでアルバムの出来がきまるといっても過言ではないです。ただ単に、オーディオ的によい音質という点だけではなく、ピアノの細部の音色や細かい表情がどれだけそのアルバムに盛り込めるか、という音楽的な点に直結する要素は、マイクの位置も勿論ですが、マスタリングとも非常に関係があります。それと今回は〈坂本龍一へのオマージュ〉のMIDIを使用した曲がありましたので、ミキシングにも非常にこだわりました。プロデューサーのやりたいことをツーカーでわかってくれるエンジニア、というのは本当に大切で、プロデューサーとエンジニアの音質的な面と、さらには、音楽的な面での意見の一致というのは非常に大切かと思います」

 

●そのこだわりのマスタリング、今回どこで行われたのでしょうか?

 

岡城 「長年信頼しているエンジニアがカナダ人で、彼のマスタリングスタジオがカナダのモントリオールにあるので、そこで行いました。Carl Talbotというエンジニアで、Le Lab Mastering Studioというところです。いろいろなジャンルのエンジニアがいるマスタリングスタジオで、カールはクラシック系ですが、彼と親しいポップス系のエンジニアにも数人そこで会いました。とても楽しかったです」

 

Le Lab Mastering Studio

https://www.lelabmastering.com/en/engineers

 

●今回坂本さんに全曲聴いてもらった上でアドバイスをもらいながらマスタリングを行ったとのことですが、どのようなアドバイスだったのですか?私見ですが特にピアノの高域の抜けの良さ、あととても心地よい一音一音の響きと余韻、音色はどこか明るさもありつつも・・・とにかく美しい・・・繰り返し聴き続けられるいい音だなと素直に感じたんですよ。

 

岡城 「ありがとうございます!大変素晴らしい音をお創りになる黒須さんにそう言っていただけて光栄です!美しい、繰り返し聞き続けられるいい音、と言っていただけてものすごく嬉しいです。今回のマスタリングはMIDIもあったし、とても凝りました。坂本さんからは特に、〈青猫のトルソ〉に関してアドバイスをいただき、私のオリジナルの音がすごく硬くて、彼が考えていた曲の雰囲気と違っていたようで、もっともやっとした霧のかかったような、という感じでご教授いただきました。マスタリングと曲の雰囲気ってやっぱりとても重要だなということを学びましたね。もう全く変わるんですよ、曲が。マスタリングでアルバムの出来が決まるといっても過言ではないですね。ただ単にオーディオ的によい音質という点だけではなく、ピアノの細部の音色や細かい表情がどれだけそのアルバムに盛り込めるか、という音楽的な点に直結する要素は、マイクの位置も勿論ですが、マスタリングとも非常に関係があります。それと今回は〈坂本龍一へのオマージュ〉のMIDIを使用した曲がありましたので、ミキシングにも非常にこだわりました。プロデューサーのやりたいことをツーカーでわかってくれるエンジニア、というのは本当に大切で、プロデューサーとエンジニアの音質的な面と、さらには、音楽的な面での意見の一致というのは非常に大切かと思いましたね」

 

●当時「ブリッジ」をコンサートで披露されるにあたり、編曲や演奏では気をつけたことはありますか?

 

岡城 「〈ブリッジ〉では冒頭以外はそんなに編曲の手を入れていないのですが、少し気を付けた点はありまして、〈ブリッジ〉に限らず、他の曲でも、クラシックコンサートではマイクがないという点です。ポップスではマイクがあるので弾いた音が拾われて、フォルテでもそんなに弾かなくてもホールの隅々まで広がってくれます。でもクラシックではマイクがないので、フォルテでホールの隅々まで音を響かせようと思ったら、かなりの音量がなくてはならない。ピアノという楽器の特性上、一音だけでフォルテの音量を出すのはかなり難しくて、和音にする必要があるんです。和音で言えば縦に音の数が多ければ多いほどフォルテで迫力が出せる。そういう点では気を使いましたね」

 

●原曲の「ブリッジ」にある冒頭の6分間のプリペアド・ピアノ※1と微分音※2のパートの編曲については大変悩まれたそうですね。その打開策として今回アルバムリリースにあたり3曲目に「坂本龍一へのオマージュ、グレイテストアーティスト」という4曲目の〈ブリッジ〉につなげるための楽曲を新規で制作されました。唯一のレコーディング曲となるわけですけど、作曲にあたりどのようなことをお考えになられましたか?

 

岡城 「坂本さんの〈ブリッジ〉冒頭に6分間、これは本当に重要で、これが山本耀司のショーでは「黒」の部分にあたり、これが徐々に変化していって、最後には「赤」になる。この冒頭の「黒」というのはいわば「無」の世界を象徴している。だからこればなければ、最後の「赤」である「高揚」には行き着けない。でもこの最初の6分間が非常に問題で、第一にあのプリペアド・ピアノの独特の微妙な音色自体を再現することがとても難しい、なにか音響的に特別な音の仕様がしかけてあるんですね、微分音の要素もありますし。また仮に私にできたとしても6分間延々と同じモチーフで聴衆を飽かせずに聴かせることが私には不可能で。あれは坂本さんだからこそ可能なことで、坂本さんにしかできないことです。〈ブリッジ〉のライヴコンサートでは、この冒頭部分を15秒ほどに縮小して平均律のピアノでテーマを提示することで解決して演奏しましたが、CDでは、曲の構造が丸見えになってしまうため、なんとしてでもあの「黒」と「無」の世界を自分なりに表現して「赤」と「高揚」に到達したかったんです。それで、ショパンのバラード1番の構造を思い出したんですよ。ショパンのバラードは同じテーマが何回も違う形で出てくる、それで出てくるごとにどんどん盛り上がって曲が進行していく。同じテーマが何度も変遷して違う形で言い換えられることで、どんどん熱を帯びてくる。ショパンのバラード1番と〈ブリッジ〉とはなにか曲想自体にも共通したものがある。だから、このテーマが変遷していくことで曲が最後に向かって進行するという構造を「変奏」に置き換えれば、「主題と変奏」というものを〈ブリッジ〉の前に配置し、プレリュードとすることで、オマージュから〈ブリッジ〉へという流れをつくれば、それで全体的に、テーマの変遷による最終章への到達=黒から赤=無から高揚、ということにできないか、と考えたんです」

※1“プリペアド・ピアノ”とは、グランドピアノの弦に金属や木などを乗せるなどして、音色を打楽器的なものに変更したものをいう。スプーンやフォーク、ボルト、消しゴムなどをはさんだりすることで残響が変わり独特な音色になる。現代音楽で使われる手法の一つ。

 

※2“微分音”とは半音よりもさらに細かく分解された音程。例として四分音、八分音などがあるが、半音単位で音を奏でるピアノでは再現が不可能である。なお最近のシンセサイザーなどの電子楽器では微分音を再現することは容易になってはいる。

●この新曲は15分もの大曲になりました。原曲の冒頭よりも長くなりましたね。

 

岡城 「始めは6分程度を考えていて、最初から15分間にしようと思ったわけではないのですが、作曲しているうちにだんだん長くなってしまいました」

 

●もともとこの曲は1995年にパリで行われたヨージ・ヤマモトさんのコレクションのために坂本さんが作られました。再構築にあたりパリコレの楽曲であることは意識されたのですか?

 

岡城 「パリコレの楽曲であることはあえて意識せず、音のみに集中するようにしました。山本耀司のパリコレのショーを見ると、服の色合いの変化がいかに〈ブリッジ〉のミニマル的な変化とシンクロして微妙な風合いを醸し出しているか、驚嘆するばかりです。最初に6分間プリペアド・ピアノがあって、そこが黒、初めて服に黒以外の色が出てくるところ、舞台のそでに色がでてくるところからはじめて和音が現れる、ぞくぞくしました。今のファッションショーの音楽の全体的傾向とは完全に次元が違って、総合芸術となっている。最後の赤の色に到達するためにどんどん音楽のミニマルな要素が展開されていく。これを視覚という要素を完全に排除して〈ブリッジ〉という音楽のみに集中するとき、音楽が持つ色彩感や音色の変化による微妙なピアノの美しさ、また、最後の「赤」という高揚に到達するための音楽的エネルギーというものだけに集中して、より音楽のもつ魅力を純粋にお伝えできると思います。ファッションショーとの演奏だとモデルが歩く足音やテンポ感やショーのスピードなどを配慮しなくてはいけない、音楽のみだとそういうこともなく、音楽自体が自然に持っているテンポ感に集中して静かにより純粋で孤高な形で音楽を聴くことができる。坂本さんの音楽は和声が非常に魅力的で繊細、それに集中することで新たな音楽の発見があると思います。それは例えば、〈くるみ割り人形〉や〈白鳥の湖〉や〈ロメオとジュリエット〉などのバレー音楽では、実際にバレエのダンサーと舞台で共演するときの演奏と、コンサートでバレーの舞台なしに純粋に音楽のみで演奏する場合と、演奏が違ってくるし、鑑賞する側も気持ちや聴き方が違ってくる、それと似ている点があるかと思われます」

 

●「Dear Liz」や「Yamazaki 2002」などのテレビコマーシャル向けの曲もアレンジして収録されています。

 

岡城 「他の曲でアレンジがヘビーに入っているのは、〈青猫のトルソ〉だけで、〈Dear Liz〉は目立たないくらいに少し編曲とは言えない程度に入っていますが、あとの曲に関しては、アレンジは入っていなくて、原曲のままです。〈青猫のトルソ〉の編曲に関しては、和声の美しさと切なさが最大限に活かせるようにしたいと思ってアレンジしています」

長野でのライヴ録音は、「ブリッジ」初演ということもあり、かなりハイテンションな「陽」の要素のある演奏になっていて、逆にオマージュはレコーディングなのでむしろ落ち着いた「陰」の要素のある演奏。これを組み合わせることで、坂本さんの「ブリッジ」の世界を総合的に解釈したアルバムを創りたかったんです

●本作のライナーノーツで岡城さんは次のように述べています。

 

・・・逆説的に言えば、テクノロジーの持つジレンマを見るような思いもするのだ。グールドの時代に比べればテクノロジーとレコーディングと音楽がはるかにいたるところに氾濫している現在、その蔓延性ゆえに音楽と演奏は規格化し、演奏スタイルにおいては、特に有名曲ではある種の既成のイメージというものが出来上がってしまって王道化し、聴き手は自身がそれまで経験してきたイメージの期待に応える演奏のみを求めてしまう、型どおりのものしか受け付けたくない、枠を超える経験はしたくない、という・・・

 

恐らく・・・岡城さんは“独自性”や”いい意味でリスナーを裏切ること”を重視されていますよね。それってアーティストとしては一番大事な部分かなと。ポップスのミュージシャンであれば、個性的で革新的で在りたいと思うミュージシャンが大半を占めます。一方でクラシックでは恐らく伝統というものがあるから、そうでもないのだろうと推測します。そこで一つ疑問なのが、じゃあ何故岡城さんは主となるフィールドをクラシックにおいていらっしゃるのかなという点なんです。オリジナリティ、独創性を発揮するのであれば、ポップミュージックやジャズなどのフィールドに身を置いたほうが性に合っているような気がしたのですが、いかがでしょうか?

 

岡城 「まさにおっしゃったような理由から、特に最近、ポップスやジャズはかなりやりたいなと思っています、前にも増して。そのうちジャズアルバムとか出すかもしれません、 独学で勉強はしたので。”独自性やいい意味でリスナーを裏切ることがアーティストとしては一番大事な部分”というお言葉にぐっときました。確かに、そのとおりですね。クラシックで言えば、この現代の似たようなものが乱立している風潮は、昔はなかったんです。昔はむしろ、非常に個性的でなければ演奏家とは言えなかった、でもそれはホロヴィッツを最後に、時代が変わったんです。仮にホロヴィッツが生きていて、無名のピアニストとして現代のコンクールを受けたとしたら、間違いなく落ちます、一次予選で。個性的すぎてスタイルに合わないという理由で。みんな似たような演奏、というクラシックの風潮はむしろ現代特有のものと言っていいかと思います。西洋音楽の歴史を見ても、革新的なものが音楽史を創ってきました。すでにある音楽理論をくつがえして否定するような、革新的な新しい音楽、ですね。で、その当時は革新的と思われたようなことも、100年もたつと「伝統」となってしまう。それが音楽史。だから結局、「独自性」とはなにかを突き詰めていくと、「もうすでにみんなの頭のなかに既存しているなにか」をまさに「いい意味で裏切ること」になると思います。でもそれは100年後には革新的ではなくなっているので、どうなっているかはわからない。クラシックでは私がそれが実現できることはまだあるのでやっているのですが、そのうちポップスやジャズの分野でそれを追求したいな、とも実はものすごく強く思っています」

 

●もう一つ、ライナーノーツでコンサートとレコーディングは全く違うもので、特にレコーディングの魅力について熱く語られています。今回の作品はコンサートを下敷きにしたレコーディング作品です。つまりコンサートの最大の魅力である即興性や偶然性を生かしつつも、岡城さんの言葉をお借りすると、それと相反するレコーディング作品の魅力=すなわち偶然性を極力排除した演奏家自身の純粋な解釈、との両立に取り組まれたわけです。この一見矛盾しそうな各々の魅力を、最終的に作品として完成させるにあたっては何をどう大事にされたのでしょうか?、実は今回一番伺いたかったことがこれでして、ポップスの世界では多重録音はじめ、ライヴでは表現できないレコーディング作品ならではのという名作も数多く存在します。岡城さんのやられていることはジャンルは違いますが、ポップスの作品作りの思想に近いと感じたんですよ。

 

岡城 「“岡城さんのやられていることはジャンルは違いますが、ポップスの作品作りの思想に近いと思ったので”という黒須さんのお言葉は目からうろこ、でした。確かにそうですね。今まで自分なりには意識してなかったけど、まさにそういう音楽づくりを目指しているんだと客観的に認識できました。長野でのライヴ録音は、〈ブリッジ〉初演ということもあり、かなりハイテンションなの要素のある演奏になっていると思います。逆にオマージュはレコーディングなのでむしろ落ち着いたの要素のある演奏。これを組み合わせることで、坂本さんの〈ブリッジ〉の世界を総合的に解釈したアルバムを創りたかったんですね。ライヴではピアノの音色の色彩感がかなりバック寄りにマイクから入っていたので、それをマスタリングで全面的に押し出した音作りをしました。〈ブリッジ〉の曲のセクションによってもマスタリングがほんの微妙に違えてあります。そういう微妙なことや調整で、曲の解釈や曲想をより純粋に聴いてもらえるように工夫しました。レコーディングだと、いろいろな曲の解釈をためして、そのうちの一つをあとで選ぶということが可能ですが、ライヴ録音の場合はテイク1回切りだからそれができない、なので、マスタリングでの調整はより重要だったと思います。音色的なことでいえば、例えばMIDIのチェレスタの音なんか、音が割れるギリギリの直前までもっていっている部分があります。なんというか、ただ単にきれいなクリーンな音というのだけではつまらないと思うんです。音が汚いという要素、があって初めて成り立つ音もある、それで初めて見えてくる音楽的なものがある。だから、プロダクションの編集(今回はないですが)マスタリング、ミキシングと音作りと音楽性と曲の解釈とは切っても切れない関係にあると思うんです。演奏家とプロデューサーとエンジニアの音楽的意見が一致するっていうのは大事ですし致命的ですよね。そこがね、クラシックでは、グレン・グールドが掘り下げていった唯一のアーティストなんですけど、彼以後はいないんですね」

 

●そしてライナーの最後に“「夢の音」をもう一度探求したいと思った”と書かれています。ということは一度探求を辞めたことがあるというようにも受け取れますが、もしそうだったとした場合、何故以前それを辞めて、今回改めて探求しようと思ったのかを伺いたいです。

 

岡城 「鋭いご質問です!まさにその通りで、「夢の音」は学生の頃に一度諦めています。学生時代は音楽に対する思いが大きすぎて、うまく適切に表現できず悩んでいた時期がありました。自分の心の中では理想の音がちゃんとなっているんですが、それが自分が実際に出している音と一致しない、でも、時折、それが出せるときがあるんです。ああこの音だって。これが自分の思ってる夢の音だって。でも、それでは演奏家は通用しない。常に、どんなときでも、ちゃんと理想的な演奏ができなくちゃいけない。「時折できる」ではだめなんです。悩みました。それで、自分の音を客観的にとらえることから始めて、どんどん自分の音を自分から外に向かって発する、しゃべるように発信することで演奏することを学んでいきました。それで新たな音の武器を手に入れた、でもそれと同時に、私の夢の音とは全く違う方向に進んでいったんです」

 

●その「夢の音」とはどんな音なんでしょうか?

 

岡城 「なんというか、一音でも心に響くような音、にじみ出るような音、でしょうか。しゃべるように外に向かって発する音は、明確に意志を伝えることができる、でも、その音は意志や楽想を伝えるための手段、であって、夢の音はそれとは違う音なんです。もっと音のための音、内包する音、というか。水滴をたらすと波紋が広がる、そのような思いがにじみ出るような音、でしょうか。坂本さんの近年の音が、私が学生の頃にあきらめた「夢の音」を思い起こさせる音なので、改めて探求したいと思いました」

 

●今後の活動の予定を教えてください。

 

岡城 「この次のプロジェクトは、スクリャービンのプロメテウス交響曲のピアノ編曲版の多重録音を予定しています。ピアノ編曲は自分で何年間もかけて行い、基本的に2台ピアノなのですが、時々ソロになったり、6台ピアノになったり、1台から6台を行ったり来たりします。1台目のレコーディングはすでに終了しており、あとは多重録音で重ねるだけとなっています。プロメテウスはオーケストレーションが厚く、音がとにかく多いので、その多い音を10本の指では足らないからただ単に6台に振り分けて重ねる、というようなものでは全く面白くないし、音楽的に意味をなさないので、そういう編曲ではありません。逆に、1台目のピアノはかなりの超絶技巧にしてあり、ピアノとオケを両方1台で弾くような感じに編曲してあります。2台目から6台目は、あくまで1台目ピアノのサポートや、彩、独特の音色を創るための添え物、の意味です。スクリャービンにあったピアノを求めて、ニューヨークではなく、カナダのケベックのホールでレコーディングしました。ピアノ1のレコーディングではマイクも10本使用し、7トラックです。これに6台重ねると7x6=42となりますので、とても楽しみです。『坂本龍一ピアノワークス』は私がレコーディングを続ける限り、シリーズとして継続したいです。『ピアノワークス4』の曲目のリクエストも、すでにリスナーの方からいただいています。今から何にしようか、わくわくしています」

 

●最後になりますが、読者の方にメッセージをお願いします。

 

岡城 「お読みいただいてありがとうございます。このライヴ録音、実は長野県民文化会館でのコンサートに呼んでくださった白沢さんの一言で生まれることができました。白沢さんが本番前のリハーサルで私のピアノの音を耳にしてから、音響エンジニアに駆け寄って言ってくださった一言“マイク、これから吊れる?”と。コンサートに録音は予定されていなかったので、この白沢さんの一言がなかったら、この新譜は生まれることができませんでした。そして小さいときからYMOと教授ファンだった白沢さんがCDを聴いておっしゃってくださった感想“新譜に、教授の90年代から『async』までの壮大な系譜、スケールを感じて目がうるうるしています”が嬉しかった。オマージュには特に、私のこれまでの万感の思いを込め、テイク中に涙が止まらなかった。こんな経験は今までありませんでした。そんな私の思いと、教授の作品に込めた人生の思いと、リスナーの方の思い、これが重なり合って、共鳴して心の琴線に触れて通い合うことができれば本当に、音楽家として本望です」

 

●ありがとうございました。

Music Trailer/Sample Listening


Work

岡城千歳

坂本龍一ピアノワークス3、トリビュートアルバム In Appreciation & Admiration

2018年11月20日リリース

収録曲

1. Dear Liz

2. 青猫のトルソ

3. 坂本龍一へのオマージュ、グレイテスト・アーティスト

  ハープ、チェレスタ、プリペアド・ピアノ、マリンバ、微分音のための「ブリッジ」のモチーフによる主題と変奏

4. ブリッジ - Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 (1995年秋冬プレタポルテの山本耀司パリコレクション)

5. Loneliness from "The Sheltering Sky"

6. ゴリラがバナナをくれる日

7. Dream from "Lack of Love"

8. Yamazaki 2002

9. Career Girl

 

録音 :
[track 1-2, 4-9] 2004年長野県文化会館ホクトクホール、ライヴ
[track 3] 2017年スタジオ録音

掲載日:2019年1月9日