岡城千歳(おかしろ ちとせ)というピアニストをご存知だろうか? かくいう私もつい最近まで彼女の存在を知らなかった。音楽プロデューサーでもあり、世界で名だたる賞も多数受賞している世界屈指のクラシックピアニストの一人である彼女が、シリーズ第3弾となるアルバムを11月20日にリリースした。

 

ここで読者は疑問に思うかもしれない、ポプシクリップ。でクラシック? と。しかし彼女が今回世に送り出した作品はいわゆるクラシック作品ではない。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)をはじめ当サイトの読者ならみんな知っているであろう、あの坂本龍一さんのトリビュートアルバムなのだ。『坂本龍一ピアノワークス3、トリビュートアルバム In Appreciation & Admiration』というタイトルで、しかもシリーズ3作目という。アルバム向けに教授(教授とは坂本龍一の愛称)本人からライナーノーツをもらっているほか、制作過程最後のマスタリング作業について、教授から直々にアドバイスをもらって作りこんだそうだ。つまり、これはネット上で何かと話題になるなんとなくカバーしてみました、とは一線を画す本人公認のガチな作品なのである。

 

筆者も小さいころピアノを習っていてピアノ研究会なるマニアックなサークルに所属していたこともあり、多少はピアノ作品に親しみがあるのだが(今は全く弾けないが)、彼女の作品を一聴してあまりの凄さに家の中で叫んでしまい妻に怒られたほどだ。それは”手が何本あるのだろうか?”と思わせるような超絶技巧による腕前はもちろん、そんじょそこらの名曲カバーの域をはるかに超えた岡城による坂本龍一作品の再解釈は、別人の作品と言っていいほどのものであったからである。でもそこはあくまで原曲の構成・フレーズをしっかりと咀嚼したもので、坂本作品への理解があるからこそできる素晴らしいトリビュート作品に仕上がっており、彼のファンであれば彼女がいかに作品を大事にしているか、その愛情がよくわかるだろう・・・奏でるピアノ音が大変美しく哀愁漂い、じっくり聴けば聴くほど好きになってしまうのだ。

 

何よりも教授本人が彼女のピアノの技量を”僕の数段上”と認めているし、作品のカバーを許可するということは、坂本自身の作品が分解されて別のものに再構築されることを意味しており、それを本人が認めている。つまり岡城の音楽センスを信じているということになると解釈できるのだから。なお岡城の心情から”トリビュート”と銘打たれてはいるものの、通常のカバーとは違う、オリジナリティの高い再構築という点を鑑みるならば、その関係性は2014年12月にリリースされた宇多田ヒカル“ソングカバー・アルバム”『宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-』に近いものであろうと筆者は考えている。

 

余談だが先日当編集部の雑誌などもお取扱いいただいているタワーレコード渋谷店5階にあるパイドパイパーハウスに行ったところ、YMOはじめ高橋幸宏さんら界隈のミュージシャンの作品と一緒に彼女のCDが置いてあった。多分ほとんどのお店ではいわゆるクラシックコーナーに置いてあるのだろうが、このピアノ作品は作品の系譜や意図もふまえると、本来はポップスコーナーに教授の作品と一緒に置いてあるとその意味がわかりやすい。ビートルズのカバーアルバムが洋楽コーナーに一緒に並んで置いてあるとわかりやすいように、リスナーの入口を考えたら当然といえば当然なのだが、クラシックとポップスの間にはどうも目に見えない壁があるようだ。クラシックと聞いた途端”なんか難しそう”といった釈然としない空気がある。パイドパイパーハウスの例は一例なのだろうが、このような形が全国のお店に拡がると、より作品の魅力が伝わりやすくなるのだろうなとは感じた(それにその方がお店も売れて喜ぶと思う)。”クラシカルなピアノポップス”、もしくは”ガチなピアノポップス”と書いたら怒られるかもしれないのだが、2つのジャンルをクロスオーバーする作品であることは間違いない。

 

今回のアルバムは岡城にとって2003年以来15年ぶりとなるピアニスト復帰作である。もちろんこの間も編曲業などで音楽制作には関わっていたそうだが、多くのミュージシャンが出くわす表現者としての停滞期、充電期間が彼女にも必要だった。そんな彼女がいつも手元に置いて聴いていたのが坂本龍一の「ブリッジ」であり、復帰にあたっては勇気をくれたこの作品を、彼女なりに表現したいという想いから今回のリリースに至ったのだという。

 

今回編集部ではメッセージコメントをいただいたほか、インタヴューを行わせていただいた。この機会にぜひ彼女の音楽に触れていただけたらと思う。

 

企画・構成 黒須誠/編集部

Music Trailer/Sample Listening


Interview

Message from 岡城千歳

坂本さんに初めて出会ったのは、私が当時所属していたレコード会社の社長のご紹介でした。それから坂本さんのお子様にピアノをお教えしたりしていましたけど、とってもやさしいパパっていう印象でした。坂本さんのコンサートにも日本では勿論NYでもたくさん行きました。NYのほうがコンサートで坂本さんとの距離が近く、盛り上がり方がすごくてとても感銘を受けたんです。それから彼の音楽にはまってしまって。

 

私の新譜CDに入っているライブ録音の「ブリッジ」は実は日本初演時のものです。私にとっての「ブリッジ」は涙。活動休止中に聴いていた、つらい時に私を救ってくれた曲。だから彼へのオマージュの新曲も創って、トリビュートアルバムにして復帰したかった。長年抱えていた音の悩みに関しての相談メールを彼にしたこともあります。今年4月には彼の映画「CODA」をNYのトライベッカ映画祭の初演時に見て、その後少しだけお目にかかれました。あの映画の中の「戦メリ」に泣きました。ああいう風な一音でも深い音を目指したいなって。「豆腐を切るように弾く」っていう表現を彼がしていたのを読みましたが、その境地をこれから目指したいと思っています。

Work

岡城千歳

坂本龍一ピアノワークス3、トリビュートアルバム In Appreciation & Admiration

2018年11月20日リリース

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作品名:坂本龍一ピアノワークス3、トリビュートアルバム In Appreciation & Admiration

アーティスト:岡城千歳/Chitose Okashiro

発売元:Chateau Music LLC

販売元:キングインターナショナル株式会社

国内盤:キングインターナショナル 品番:KKC-4149

輸入盤:Chateau 品番:C20001

形態:CD Album

発売日:2018年11月20日

価格:オープン価格

収録曲

1. Dear Liz

2. 青猫のトルソ

3. 坂本龍一へのオマージュ、グレイテスト・アーティスト

  ハープ、チェレスタ、プリペアド・ピアノ、マリンバ、微分音のための「ブリッジ」のモチーフによる主題と変奏

4. ブリッジ - Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 (1995年秋冬プレタポルテの山本耀司パリコレクション)

5. Loneliness from "The Sheltering Sky"

6. ゴリラがバナナをくれる日

7. Dream from "Lack of Love"

8. Yamazaki 2002

9. Career Girl

 

録音 :
[track 1-2, 4-9] 2004年長野県文化会館ホクトクホール、ライヴ
[track 3] 2017年スタジオ録音

Chitose Okashiro/岡城千歳

ピアニスト、編曲家、音楽プロデューサー。 桐朋女子高等学校、桐朋学園を経て、ジュリアード音楽院修士号を取得。マンハッタン音楽院プロフェッショナルスタディズプログラムにて、伝説的ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルの息子、カール・ウルリッヒ・シュナーベルに師事。その後アメリカのプロピアノレコードレーベルの看板専属アーティスト・プロデューサー・ディレクターとして活動し、「坂本龍一ピアノワークス1&2」「チャイコフスキー《悲愴》交響曲ピアノ編曲」など数々のCDをクラシックのヒットチャートに送り込む。その斬新な企画と、オーケストラのピアノ編曲ものを中心とした超絶技巧を駆使するマニアックな彼女のレパートリーとで、ピアノマニアの間でカリスマ的存在となった。2002年に自主レーベル「シャトー」をニューヨークで設立、「マーラー《巨人》交響曲ピアノソロ編曲」「ビートルズピアノトランスクリプション」2作品を発表後、2003年より充電期間に入る。期間中は 大手楽譜出版社ブージー&ホークスでアメリカの主要作曲家と編曲の仕事に携わっていた。2018年11月、ピアニスト復帰作第1弾として『坂本龍一ピアノワークス3、トリビュートアルバム In Appreciation & Admiration』をキングインターナショナルより日本先行リリース。