高橋徹也『大統領夫人と棺』発売記念インタヴュー

                

  

この7年間は過去の自分の作品ではなく、今やっていることでみんなに納得してもらえるよう、必死でした。

──2005年に出された前作のアルバム『ある種の熱』から約7年ぶりのスタジオ・アルバムとなりました。この間の音楽活動についてのお話をお伺いしたいのですが、確か前作リリース後しばらく活動を控えられていましたよね?

 

高橋 「音源にはなっていないんだけど「美しい人」っていうライヴDVDに入っている2曲目ですね。その曲ができたときに、また新たな感じでやっていけるなあというのはありましたね」

 

──復活して最初にやったライヴは?

 

高橋 「下北沢mona recordsでやって、ワンマンで。結構人も入ってみんながいい顔していたんで・・・それがすごく嬉しかったのを覚えていますね」

 

──そこから音源化されていない曲ばかりをやるライヴ期間に突入されたんですね(笑)。

 

高橋 「そうなんですけど、そのときは全然変だとは思っていませんでしたね。別にいいじゃねえかっていう(笑)」

 

──ライヴ期間はどのような気持ちだったんですか?

 

高橋 「この音源がなくてライヴをやっている時期・・・過去に自分の作品を聴いて好きになってくれる人がいるじゃないですか?キューン時代の、その人たちを如何に今やっていることで納得させるかという勝負みたいな感じでやっていましたね。やっぱりみんながキューン時代のアルバム『夜に生きるもの』の「真っ赤な車」とか「新しい世界」を待っている感じがひしひしとするんだけど、あえてやらないっていう(笑)。やらないんだけど、それをやらなくてもみんなが納得するようなものを必死こいて作るっていうのが延々ライヴをやっていた時の・・・それだけですね」

 

──それが正解というか今につながっていますよね。そこで例えば懐メロ大会として今までいた顧客を満足させるみたいな思考だったら、絶対今辞められているような気がします。

 

高橋 「いやあ、ないでしょうね、ほんとに。それは今もあまり変わらないし。逆に今回はこうしてわざわざインタヴューしてもらう作品があるんだけど、心の中ではもうその先に行っていて、自分の中ではもう過去のことという感じがありますね。まあライヴではさすがにやりますけどね(笑)」

 

2012年にリリースされたベスト盤(上)と今年リリースされたライヴDVD(下)
2012年にリリースされたベスト盤(上)と今年リリースされたライヴDVD(下)

──リリースよりもライヴにこだわって活動されていた印象がすごくありました。例えばミュージシャンのルーティンってあるじゃないですか? レコーディングして作品作って取材受けてツアーに出て、休んで、曲書いて・・・みたいな。そういうサイクルから完全に脱した感じはすごくあると思います。バイオリズムに則った音楽活動を死ぬまでやるのかな? というのが見えた気がして。

 

高橋 「バンドマンみたいに週一でライヴをやるわけじゃないですけど、月一とかそういうペースで、必ず新しいテーマでやるっていう。それって結構大変なことで、要は曲目も変わるし編成も変わるし一人から四人まで、一回一回全部違うトライになるっていうのですごい勉強にもなったし。やっぱり一人でライヴをやるようになって、最終的に一人になってもできるぞ! というスタンスを・・・基礎体力として持てたのはすごくでかかったですね」

 

──昨年はキューン時代のベスト盤『夕暮れ 坂道 島国 惑星地球』もリリースされましたが?

 

高橋 「このベスト盤は面白かったですね。過去の作品にしがみつくのって自分の価値観としては一番しんどいんですよ。でも選曲をしてみたり、過去にお会いしたことがあるキューンの人達と会ってみると結構ちゃんとやってきたんだな、と・・・そんなに忌み嫌うものじゃなかったんだなと思って。それもあったかもしれないですね。オープンになれたっていうか。しかもこれリクエスト形式だったんですけど、俺より投票ある人より予算かかっていますからね(笑)。今までずっと応援してくれたお客さんへのご奉公という感じもしたし、この作業は楽しかったですね。」

 

普通にシンガーソングライターとしてやっていきたいというのがあって覚悟が決まりました。

──以前と比べて特にギタリストとしてもの凄く成長されていると、人馬一体といいますかギターが体の一部になっているかのように感じました。

 

高橋 「もともとずっとギターを弾きながら歌うスタイルを高校生のアマチュアバンドの頃からやっていたんですけど、自分の世代ってヘタウマみたいなのがまかり通っていたときで、宅録で面白いアイデアさえ持っていればCD出せちゃった時代なんですよ。でも後から段々自分が20代、30代になってきて物足りなくなってきて・・・とりあえず演奏を満足にできないってものすごくカッコ悪いっていうか。それまでは曲を作るために道具としての楽器だったんだけど、楽器をちゃんと弾くための練習を30代からようやく始めたというのがあるんですよね」

 

──それこそ高橋さんがデビューされたフリーソウルや渋谷系の時代ではまず大事なのはリスナーとしての耳と作家性によるところが多分にあったと思うんですよ。

 

高橋 「いいレコード聴いて美味しいところをとってきてみたいな、コラージュさせてみたいな(笑)というのはあったんですけど、それって自分にはあんまり向いてないなって思っていたんですよ。もうちょっと王道というか普通にシンガーソングライターでいたいというのがあって、覚悟が決まりましたね」

 

──ただシンガーソングライターっていうのは、ミュージシャンによってはそれこそギターが上手くなくてもいい逃げ道にもなりかねない部分があるように感じます。それこそコードが弾ければいいというか、歌の伴奏ができればというか。でも最近の高橋さんは違いますよね。

 

高橋 「バンドの編成がツイン・ギターだったのが俺一人になったのがでかいですね。最初の頃はただコードを弾いていたんですけど、段々百戦錬磨の諸先輩方からそれじゃつまんないぞっていう空気がすごくあったんですよ。それでやっぱりこれじゃいかんという、ちゃんとバンドのアンサンブル的にハマるようなことやらないと駄目だなって。今でもかなり泣きそうになりながら努力していますけど(苦笑)」

 

──よく考えるとベースの鹿島達也さんやキーボードの上田禎さんがいるバンドにギタリストでいられる人というのは相当な技量が求められますよね、単純に。ツェッペリンやジミヘンやってきたとかそういう人ではないのに・・・(笑)。

 

高橋 「すごく極端に上手くなれってことじゃなくて、変な感じは残しつつ・・・というバランスはありますね。あと自分の曲で自分のやりたいと思うことがようやくちょっとできるようになってきたという感じですね。多分それが一番大事かなと思います。でも未だにソロは弾かないっていうのはすごいこだわりとしてあるんですよ(笑)」

 

──ジョニー・マーみたいですね(笑)。そういえばギタリストで単純に好きな人といえば?

 

高橋 「やっぱり歌いながら弾く人が好きでデヴィッド・バーンとか。あとはテレヴィジョン、トム・バーレーンとか独特な“えっ?”と思う人が好きですね。ジョニ・ミッチェルの独特なコード感とかも」

 

──ちなみに高橋さんの曲はギターが難しいですよね。

 

高橋 「大変ですね。あと安易にカポつけてできるような曲が少ないので、みんな嫌がっていますね(笑)」

 

──基本はノーマル・チューニングなんですか?

 

高橋 「そうですね、ノーマルでやっていますね。ジョニ・ミッチェルのオープン・チューニングとかも色々調べてやっているんですけど・・・ジョニ・ミッチェルになっちゃうんですよね(笑)」

 

──高橋さんの曲は意外とオーソドックスなんですけど“何なんだこの感じ”というのがありますよね。体質として“ニュー・ウェイヴの人なのかな?”という気もしますけど・・・その折衷具合が、あるジャンルを探求するような音楽ではないというか。“じゃあ何だ?”という話になるのですが、その組み合わせたものが“他の○○に似ているから聴いてみて?”が言えないものになっていて説明が難しい(笑)。

 

高橋 「そうなんですよね。長く応援している人がいる理由でもあるし・・・人気が出ない理由でもありますよね(笑)。まあそこはすごく自覚しています」

 

──もしかしたら高橋さんの全盛期は60歳かもしれないですね(笑)。

 

高橋 「まだきてない感はありますよ。全然きてないっすよね(笑)」

 

                

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